第543話 昭和の男

内科から総合診療科そうしんへのコンサル依頼があった。

診察の前にカルテを読んでみる。

すでに色々な記載があり、トラブルの多い人だという事が分かる。


「酒もタバコもやめん!」

「歩けるようにだけしてくれたら、それでいいんだ」

「インスリン注射? そんなもの、やるわけないだろ」


言いたい放題の患者だ。


患者は50代の男性。

昭和の頑固サラリーマンのイメージがピッタリくる。

頑固というより我儘わがままと言うべきかもしれない。


入院中の患者だが、車椅子で診察室に来てもらうより、オレが訪ねた方が早そうだ。



訪室すると、まさしく昭和のサラリーマンがベッドに胡坐あぐらをかいて座っていた。


「私は総合診療科の医師で、主治医から頼まれて診察に来ました」


まずは軽く自己紹介する。

患者はオレに向かって軽く頭を下げた。


「歩けなくなって困っているそうですね」


そう尋ねると、昭和のサラリーマンは一気にしゃべり始めた。


「主治医には言ってなかったんだどね。3年前に会社の喫煙所でタバコを吸ってたときに、壁に手をついて背中を伸ばしたんだ。そうしたら急に腰から足先までしびれ始めて」

「どちらの足ですか?」

「両足だ」

「背中を伸ばしたというのは、背中をらすような姿勢をとったという事でしょうか?」


そう尋ねながらオレは自ら壁に手をついて背中を反らせて見せた。


「そうそう、そんな感じ。でも、一時的なもので、また元に戻ったから病院にも行かなかったんだ」


足の痺れは一時的なものだったので放置していた。

そしたら昨日になって再び痺れて歩けなくなったのだ。


救急車でウチの病院にやってきて、そのまま入院になった。

血圧も血糖値も高かったので内科に入院したが、実は歩行障害がメインのようだ。


それで総合診療科に相談があったというわけ。

すでに腰椎のMRIは撮影されている。

見事な脊柱管狭窄症せきちゅうかんきょうさくしょうだ。


ただ、画像は画像だ。

画像で重症に見えても症状が軽い場合もあれば、その逆もある。


この人は脊椎に立派な狭窄があるが、昨日までは全く症状が出ていなかったのだろう。

脊柱管狭窄症というのは骨や椎間板が脊髄を圧迫して足が痺れたり動かなくなったりする病気だ。


その構造的理由から、背中を反らすと症状が悪化し、丸めると改善する。

だからこの病気の人は自然に自転車が好きになる。

歩くのは大変だが、自転車ならいくらでもげる。

自転車に乗ると必然的に背中が丸くなって脊髄への圧迫がゆるむからだ。


オレはこの人の腰を自分の両手で引っ張ってみた。

これは教科書には書いていない、秘伝の診察法だ。


「どうですか、生まれ変わりましたか?」


ちょっとギャグをかましてみた。


「生まれ変わったとまでは言わんけど、足が軽くなったし、少し動くようになりました」


こりゃあ脊柱管狭窄症による歩行障害で決まりだな。


「たぶん背骨の手術をした方がいいと思いますけどね」


手術をするとなると整形外科の脊椎グループになる。


「ええっ! 手術は勘弁してくださいよ。来週には会社に行こうと思っているんだから」


職場復帰のスケジュールを決めるのは病気であって、この人ではない。

が、勝手に決めているところが「ザ・昭和」だな。


「じゃあ私の言うことをよく聴いてください」

「ええ」

「この病気は背中を反らせたら悪化するので、なるべくそういう姿勢を避けましょう」

「注意します」

「それと、さっき私がやったみたいに腰を伸ばすと足が楽になります。鉄棒なんかにぶら下がるのがいいと思いますよ」

「分かりました」


ついでだから、もう少し説教してやろう。


「それと、脊柱管狭窄症だけじゃなくて、血圧とか血糖とかタバコとかお酒とか、そういうものが加わって症状が強く出ているんでしょうね」

「えっ、酒もタバコもやめないといけないの?」

「そこは御本人次第ですけど。いっその事、清く正しく生きるのもいいんじゃないですかね」


暗に「現在の生活は清くも正しくもない」と言ったことになるが、それには気づいていないようだ。


「今は手術するかしないかギリギリのところですからね」

「うーん、ちょっと考えてみます」


患者はだんだん神妙な顔になってきた。


多分この人、禁煙禁酒の上にインスリンを打たれて手術室送りにされるんだろう。

あんまり症状が進行してからでは、何をしても元に戻らなくなってしまうからね。


仕事なんかやっている場合じゃないんだけど。


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