第540話 ベンツを買ってもらう男

 その患者は男子大学生。

 バイクに乗っていて乗用車と衝突した。

 よくある右直うちょく事故だ。


 つまり、バイクで直進中に右折してきた乗用車に衝突したわけ。

 当然、直進の方が優先なので、この場合は乗用車が悪い。

 多くの人はそう思うが、実際の過失割合は15対85になる。


 バイクの方も相応の注意をしておけ、ということだろう。

 直進するバイクに構わず右折する車なんかいくらでもいるからだ。


 大学生は3日間ほど意識がなかったが、今は復活した。

 事故前後の記憶が飛んでしまっているので、車が怖いと思っていない。

 だから脳外科外来で免許更新の相談をされた。


「もうすぐ免許の書き換えがあるんですけど、大丈夫ですかね」

「特に問題になる事もないと思うけど」


 現代社会において運転免許証は身分証明書代わりだ。

 だから失効させると何かと不自由になる。


 すると付き添いの母親からも質問があった。


「バイクはまた乗ってもいいのでしょうか?」

「いや、お母さん……それはちょっと」

「駄目ですか、やっぱり」


 母親の口から出た質問とは思えなかった。


「いいですか、お母さん。この病院に運ばれた息子さんを見て『助からないかも』って思ったでしょう?」

「ええ」

「母親だったら『もうバイクには乗らないで!』って言うんじゃないかな」


 本人は記憶が無いのだから怖くはないかもしれない。

 でも、両親はその恐怖を覚えているはずだ。


「他人の私が言うことじゃないですけど、バイクはやめておきましょうよ。今回はたまたま助かっただけで、次の事故ではあの世行きですよ」

「そうなんですか!」

「車はバイクの事を何とも思っていませんからね」


 親子は神妙にうなずく。


「乗るんだったらベンツにしなさい」

「はあ?」


 親子は虚をつかれた表情になる。


「ベンツに乗り換えたら皆が譲ってくれる、と喜んでいた先生がいたよ」


 ベンツならハッタリがきく。

 知らんけど。


「お母さんにベンツを買ってもらおうぜ」

「それ、いいですねえ」


 患者はすっかりその気になっている。


「それは冗談だけど、乗るんだったら頑丈な車にしておいた方がいいよ」


 ひょっとするとベンツより4tトントラックの方がいいかもしれないな。

 女にモテるとは思えないけど、その分、学業に専念できるはずだ。

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