第536話 切羽詰まった男

「ちょっと相談があるのですが」


 院内PHSからは初期研修医の声が聞こえてくる。

 切羽詰まった様子だ。


「入院中の修羅八重子しゅら やえこさんがコロナにかかってしまって」

「そうみたいだな」

「指導医の留守川るすかわ先生が外勤がいきんで不在なんですよ」


 突然の出来事にどうしていいか分からず、オレに助けを求めてきたようだ。


「まず院内の届けをどうするか、次に治療、そして病状説明ムンテラだな」

「届けの方は病棟が出したみたいです。治療については……マニュアルを調べてみます」

「最大の難関は病状説明ムンテラだろう。あそこの息子さんとはいつも揉めているから、うまく言わないと大変な事になるぞ」

「そうなんですよ」


 この研修医も患者の息子には1回や2回、怒鳴られた事があるんだろう。

 このおびえ方は普通ではない。


「1時間もしたら手が空くから、病状説明ムンテラの練習をしようか。それまでに治療の方を始めておいてくれ」

「分かりました、よろしくお願いします!」


 何事も練習が肝心。

 皆、準備不足で病状説明ムンテラに臨むから地雷を踏んでしまう。


 1時間後、研修医が外来にやってきた。


「レムデシビルを3日間使うことになりました」

「よし、オレが息子役をやるから、先生が説明をしてくれるか」


 いよいよロールプレイの開始。


「『何で入院しているのにコロナになるんですか!』」


 オレはいきなり核心を突いてやった。

 研修医はうろたえる。


「あの、看護職員の1人がコロナになってしまって。それが分かる前に修羅八重子しゅらやえこさんには食事介助なんかで接触する事があったので。十分に注意はしていたのですが」

「駄目だ駄目だ。そんな説明で息子が納得するわけないだろ。第一、その看護師から感染したという確たる証拠があるのか?」

「いや、その。状況からそうかもしれないと思っただけで」

「他にも感染している患者がいるし、面会に来る人もマスクをしてなかったりするだろ。どこから感染したなんか分からないじゃないか」


 こういう時は端的に説明するのがベストだ。


「いいか、こう言え。『世間では終わったことになっていますが、我々はコロナ対策を続けています。外来患者さんや面会の方にもマスク着用をお願いしていますが、それをすり抜けるのがコロナなんです』って」

「先生、上手いですね」

「ムンテラってのは口先で誤魔化すというニュアンスがあるんだけどな。でも、オレの言っていることにウソはないだろ」

「確かに」


 想定される質問は他にもいくつかある。


「次の質問に行くぞ。『ちゃんと治療してくれるんだろうな!』」

「あのお薬を使ってですね。もし食欲が減ったときには点滴を追加して、熱の方は36.8度なんですけど……」

「おいおい、聴いててイライラするぞ」


 研修医は自分でも回りくどい説明だと感じているみたいだ。


「『治療はマニュアルに沿って開始しています』と言え。新米の研修医が考えたんじゃなくて、マニュアルという言葉を出して権威付けしろ!」

「分かりました」

「実際、そうしているんだろ」

「そうです」


 こんな所でつまずいていてどうする。


「じゃあ次。『薬を使うって、ウチの母親はそんなに悪いんですか。大丈夫ですか』と言われたらどう答える?」

「高血圧と高脂血症があって、90歳なんで。白血球の数は6800くらいなんですけど……」

「答えは短く、メッセージは明確に!」

「はい」


 全部オレがお手本を見せないといけないのか。


「『今のところお母さまは元気でモリモリ食べておられますが、リスクがあるので先手を打ってレムデシベルを3日間投与します』といえば相手も安心するだろう」

「僕も安心しました!」


 後は面会の事だ。


「ところで修羅しゅらさんの隔離はどうなっているのかな」

「もともと個室だったので、そのままの部屋にしておこうということになりました」

「あと、面会制限がかかるよな。それは何時いつまでになるのかな」

「1週間だったかな、10日間だったかな」

曖昧あいまいな数字は不信感のもとになるからな、病棟に確認しておけ」

「分かりました」


 このくらい想定しておけば大丈夫だろう。


「いくら回答を準備しても、実際にうまく言えるとは限らないから」

「ええ、自分でも良く分かっています」

「声に出して15回練習しろ」

「15回も……ですか」

「学会発表でも結婚式のスピーチでも、何でも15回だ。これはオレが何十年もかかって見出した数字だからな、ちゃんと練習しろよ」

「はい!」


 ということで、この研修医は本当に15回練習してから電話をかけて患者の息子に説明した。

 驚くほど簡単に納得してもらえたそうだ。


 何回も練習したという自信が研修医の声にこもっていたからかもしれない。

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