第534話 色の黒い男

「お父さんはほとんど家に帰ってこなくてですね。それでお母さんと一緒に着替えと弁当を持ってこの病院に来たりしたんですよ」


 色の黒い青年はそう言った。


「有りがちな話だな、この世界では。あと、お父さんとかお母さんとか言うのはやめた方がいいよ。社会人だったら、父と母だな」


 オレはアドバイスする。

 たまたま見学にやってきた医学生相手に話をしていると、いつの間にかマッチングの面接試験の練習になってしまった。


「そうします。それで病院の中に小さな広場があって、そこで父にキャッチボールをしてもらったんですよ」

「それ、具体的に何歳くらいの話?」

「幼稚園の頃です。父にキャッチボールをしてもらった事が嬉しくて、小学校に入ったら野球を始めました」

「それで色が黒いわけね。只者ただものじゃないな、その黒さは」


 なぜここの病院で研修をしたいのか、という質問を想定しての練習だ。

 かつてオレが一緒に働いていた循環器内科医の息子が今は医学生となっている。


「素材としてはいい話だけど、もう少しストーリーに必然性が欲しいな」

「必然性……ですか」

「うん、ラノベでいったら『冒険に出る必然性』みたいなものかな」

「そう言われると分かり易いですね」


 オレは先をうながした。


「御両親は君に医者になれって勧めたのか?」

「それはなかったですね。正直なところ、家に帰ってこない父があまり好きじゃなかったし」

「じゃあ、医学部を受けようって自分で決めたのか」

「そうなんですよ」

「お父さんは嬉しかっただろう、自分の生き方を肯定されたみたいで」

「僕が医学部に受かったときはちょっと泣いていました」


 それにしても若者の話を聴いていると、どうしても小説仕立てにしたくなってくる。


「『父とキャッチボールをした思い出のあるこの病院で研修医生活をスタートしたいと思います。僕の物語を完結させてください!』と面接官に訴えればいいんじゃないかな」

「でも『完結するってのは終わるってことか?』と突っ込まれますよ」

「そう言われたら『完結するのは僕の物語の第1章です。第2章としての研修医生活をこの病院で始めたいと思います』と返そうよ」

「それ、ラノベそのものじゃないですか!」


 つい、何でも物語にしてしまう作家の癖が出てしまった。


「今の話はもうちょっと練って、面接官に刺さるようにしようぜ」

「そうします」


 これまで何回も面接試験の担当者をしてきたから、どんな話が求められるかはよく分かる。


「なぜこの病院を受けたのか」と面接官に訊かれて「研修カリキュラムがしっかりしているから」とか「見学に来て雰囲気が良さそうだったから」だけでは弱い。

 それは誰でも言うことだからだ。


 もっと必然性を持った力強いストーリー。

 そして魅力的なキャラクター。


 仕事が忙しくて家族を後回しにせざるを得ないことに忸怩じくじたる思いをしていた父親。

 そして、そんな父親との思い出を追いかけるように野球を始め、父と同じ医師を目指す息子。

 キャラクターも揃っているじゃないか!


 うん、このまま小説新人賞に応募できそうだ。


 ……って、分かってるんだったら、もっと気の利いた小説を書けよ、オレ。

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