第528話 警察に出頭した女

 救急外来ERで盗難騒ぎがあり、担当していた女性研修医が巻き込まれた。

 なんと患者から警察に被害届が出され、事情聴取を受けることになってしまったのだ。


 盗難騒ぎの経緯いきさつについては、第390話で述べた。


「事情聴取って、どんな事をかれるんでしょうか?」


 なぜかオレが女性研修医に尋ねられた。

 とはいえ、医療安全研修で散々刑事役をやってきたオレの事だ。

 他の人間よりも一日いちじつちょうがあるといえる。


「実はこれまでも職員が警察の事情聴取を受けるってのはあったわけよ」

「私だけじゃなかったんですね!」


 そういう記録は過去10年以上に渡って残してある。

 事情聴取から帰ってきた職員の記憶が新しいうちにすべて吐き出してもらって書き残す。


「今時、机を叩いて『この野郎、本当の事を言わんかい!』ってのは無いみたい」

「そうなんですか。ついテレビドラマのイメージで怒鳴られるのかと心配していました」

「ちょうどいい機会なんで練習してみようか」

「是非お願いします」


 実際のところ、警察の事情聴取ってのは事実関係の確認がほとんどだ。


「じゃあオレが刑事役をやろう。『研修医ってのは、普通のお医者さんとどう違うのかな?』」

「そこからですか」

「もちろん」

「えっと、6年間の医学部を出た後に国家試験を受けて合格したら研修医ということになるんですけど、その前の年にマッチングというのがあって、それで研修先の病院を決めて……」

「駄目駄目、そんなグダグダな事を言ってたら刑事さんの機嫌が悪くなっちゃうから、端的たんてきに答えた方がいいよ」


 やっぱり練習すべきだったな。


「『研修医ってのは修行中のお医者さんなんです。医師免許をとって最初の2年が修行期間になります』とか、言った方が分かりやすいな」

「なるほど」

「分からない所は相手が質問を重ねてくるから、基本的には1問1答だ」


 この辺は患者相手の病状説明ムンテラと同じになる。


「オレが訊くから答えてくれるか?」

「分かりました」

「『えっと、新米しんまいといったら先生に失礼やけど、そういう研修医が救急の担当もするのかな』と言われたら?」

「研修医ではありますが、色々な科をローテーションして、たとえば内科系だったら合計8ヶ月間で、それに選択も入れたら合計で12ヶ月まで研修をすることができますので……」

「長い、長すぎる!」

「やっぱり長いですか」

「そんなもん、『上級医と一緒に救急患者さんに対応するので問題ありません』と言っておけばいいわけよ」

「でも、救急外来に来ない先生も沢山いらっしゃいますけど」

「余計なことは言わなくていいから。この場合だったら『じゃあ、先生が患者を診ていたときも上級医がそばにいたんかな?』と訊かれてから答えたらいいことだろう」

「でも、そのときは私1人で診ていました」

「『先生が1人で診るってのは、病院の内規に違反しているのと違うか?』とめられるぞ」

「すみません。違反と言われたら違反かもしれません。御免なさい」

「要らんことを言うな! そこを責められているんじゃなくて、警察はその場に何人いたかを知りたいだけだろう」


 こういうまり方ってのは医療安全研修会で何度も見た。

 だから、オレにとっても刑事役の経験は無駄ではなかったみたいだ。



 というわけで、ちょっと練習のつもりが2時間にも及んでしまった。

 オレとしては物足りないくらいだったが、研修医は疲労困憊ひろうこんぱい

 後日、事情聴取の直前に改めて練習の続きをやろうという事になった。


 ところが。


 1ヶ月経っても、2ヶ月経っても警察からのお呼びがない。

「こりゃあ警察も忘れているのかな、ラッキー!」と思っていたら、突然呼び出されることになった。


 ま、忘れるわけはないよな、警察が。

 とはいえ、オレも忙しいし、再び練習する間もなく彼女は所轄しょかつの警察署に出かけていった。



 で、事情聴取の2日後。

 かの研修医とICUでばったり出くわした。


「どうだった、警察の方は?」

「それが、すごく丁寧な事情聴取だったんです」

「良かったじゃないか」

「それで、先生に訊かれた同じ質問も沢山あって、スラスラ答えられたんですよ」


 なんじゃそら?

 まるで「試験問題の予想が当たりました」みたいな話だな。


「本当にありがとうございました。あの練習がなかったらどんな事になっていたか想像もつきません」


 そう言って彼女に深々と頭を下げられた。


 この事件がどっちに向いて転がるのは不明だ。

 しかし、言うべきことを言った、という気持ちが今後の彼女を支えてくれるはず。


 こういう事を含めての臨床研修かもしれないな。


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