第526話 転職した男

「私、転職して良かったです」


 そう言ったのは脳外科の外来患者。

 今は公的機関に勤務しているが前職が損害保険会社だそうだ。


 オレが中古車販売不正問題のニュースに触れると一気に話し始めた。


「中古車屋の1店舗で保険の売上が数億円になることがあるんですよ」

「そんなに?」

「チェーン店だと全体で数百億円になりますからね。ちょっとくらい修理代を誤魔化されても文句はいえません」


 対応を誤って1店舗でも他の損保会社に乗り換えられたら一気に数億円の損になる。

 だから担当者は防戦に必死だ。


 その一方で、他の損保会社からシェアを奪いとろうと攻勢に出ることもあるそうだ。


「店舗も修理業者も損保会社もですね、正直者が損するみたいな構造が業界全体に拡がってしまっているんですよ。それを根本的に直さないと不正はなくならないと思います」


 患者は一気にまくし立てた。


 オレは損保会社の人たちとの仕事上の付き合いが少なからずある。

 皆、普通の日本人らしく真面目なサラリーマンだ。

 でも、そういう人が不正に手を染めざるを得ないとしたら、それは気の毒な話だと思う。


「ニュースの報道の内容には私自身に心当たりがあったりするんで」

「そうなんですか!」

「だから今も同じ会社にいたら大変な事になっていたかもしれません」

めて良かったですね」

「ホントにそう思います」


 医療界なんかもよくマスコミに隠蔽体質いんぺいたいしつだとか金儲け主義だとか非難される。

 が、少なくともオレの周囲で今回の中古車業界の不正に匹敵するようなものは見たことがない。


 そもそも不正をしようという余裕は医療現場には全くなく、ひたすら日々の仕事をこなすのが精一杯なのが現実だ。


 もっとも、世の中にはレベルの低い医療機関も存在する。

 また、医師と患者の相性の良し悪しも結果に影響するだろう。


 だから「医者選びも寿命のうち」とは良く言ったものだと思う。


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