第519話 死ぬ準備をする女
ある日、外来患者から相談を受けた。
親友が困っているので助けて欲しいとのこと。
実は親友の奥さんが余命3カ月と宣告を受けた。
宣告した医師には「末期癌であり、当院ではこれ以上の治療ができません。ホスピスもしくは緩和ケア病棟に紹介します」と言われたのだとか。
で、どうしたものか、という相談だ。
こういう事は本人から直接話を聞かないと、どこにニーズがあるのかさっぱり分からない。
だからウチの病院に来てもらう事にした。
体調の関係で奥さんは来れないが、御主人とオレの患者が揃ってやってくるという。
奥さんも含めて全員が70代だから、こうした深刻な話も稀ではない。
話し合い当日。
やはり当事者に来てもらって良かった。
すでに3つほどの緩和ケア病棟のある病院を紹介してもらったそうだ。
そのうちの自宅から1番近い市民病院の面談に行ったのだとか。
「『余命3カ月もあるのですか! ウチには余命1カ月になってから来てください』と言われましてね。それに面会は15分しかできないそうだし」
御主人がオレにそうこぼした。
さすが市民病院。
対応がお役所的というか何というか。
あとの2つの病院のうち1つは遠すぎて現実的ではなかった。
もう1つはウチの病院もよく依頼するところなので、面談にいく価値はある。
「今は退院して自宅に帰っているんですよ」
「それは良かった。女の人にとって家は自分の城みたいなものですからね」
そうオレは言ったが、住宅関係の仕事をしていたという御主人はあまりピンと来ていないようだ。
「死ぬにしても段取りがあるし。片づけておくこととか色々あるでしょう」
「そういえば、夜中まで起きて子供たちの写真の整理なんかをしているんですよ。体に負担がかかるから早く寝ろ、と言ってるんですけどね」
そうそう、そういう事が大切なわけ。
写真とか財産関係の書類とか、整理しておくことは沢山あるはず。
オレはあらかじめ調べておいた第4の医療機関を提示した。
昔、アルバイトで良く行った病院だ。
「ここも自宅から近いし緩和ケア病棟もあるようですよ。何といっても自宅で急変した時には必ず受け入れます、とホームページにあるのが安心ですね」
「何しろ初めての事なんでさっぱり分からなくて」
「奥さんが余命3カ月って言われるのは誰にとっても初めての事です。それに、顧客は常に自分のニーズを理解していないんで『さっぱり分からない』というのが普通なんですよ。御主人も仕事をしていた時にそう思いませんでしたか?」
「そうかもしれません」
そう言ったものの、顧客のニーズに真剣に向き合うのは創業社長か最前線の営業くらいだろう。
オレは御主人のニーズの具体化にかかった。
「緩和ケア病棟に望むのは、スタッフが優しい事。面会時間なども柔軟に対応してくれること。できるだけ長い時間を自宅で過ごしたいこと。自宅で具合が悪くなった時にすぐに受け入れてくれること。そういう事ですよね」
「そう言われたらだんだんイメージが出来てきました。なにしろ子供らも独立して遠くに住んでいるものですから、自分1人で困っているんですよ」
昭和の仕事人間っていうのはこんなものだろうな。
「いいですか、これからが夫婦本番です。向こう3カ月間、御主人が全力で奥さんを支えてあげて下さい。食事も奥さんの口に合うものを御主人がつくる、緩和ケア病棟も足を棒にして御主人がベストの所を探す、そういう事をお願いします」
「えっ? ええ」
御主人は戸惑っている。
「それと『心配をかけるから子供たちには知らせてない』と言う人が良くいますけどね」
「余命3カ月とまでは言ってないです」
「本当の事を知らせてください、心配させたらいいんですよ、ほかにもっと大切な事があるんですか?」
「孫が受験生なんで」
お
結果を受け入れて予備校で根性を鍛え直してもらえ。
そう思ったが、口に出しては言わなかった。
「とにかく、1番遠いところと市民病院はリストから外すとして、あとの2つは面談に行かれたらいいんじゃないですか」
「そうします」
「それと、御主人も自分のニーズを言葉にするのがうまく出来ないかもしれないので、今日のやりとりをプリントアウトしてお渡ししましょう」
「助かります!」
偶然にも奥さんは10数年前にウチの病院にかかっている。
だから、今回の問答については奥さんの電子カルテに記録しながら行った。
プリントして持っておけば、緩和ケア病棟の面談でも、子供たちへの説明でも、色々な場面で活用できるはずだ。
「それでは、また何か相談した事があったらいつでも連絡してください」
そう言うと男性2人組は立ち上がり、何度も礼を言って帰った。
いつもながらの有言不実行。
何もしないくせに立派な言葉が勝手に口から出てくるのは、自分でも
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