第518話 意志の強い男

「昔に比べたら、変な飲み物が全然冷蔵庫に入っていないわね」

「もちろん。ジュース類は飲まないって決めたし」

「へえーっ、意志が強いんだ」


 珍しく妻にめられた。


 オレはあまりにも腹が出てきて妊娠6ヶ月みたいになってしまった。

 そこで体重を減らして腹を凹ませることにした。

 具体的には間食やジュースをやめる。

 特にクッキーとかアイスクリームは厳禁だ。


 そして機会を見つけては歩く。

 忘れ物を思い出して部屋に取りに戻る時ですら「これもエクササイズのうち」と自分に言い聞かせている。


 お蔭で順調に体重が減ってきた。

 ただ、数値が直線的に下がるということはない。

 頑張った日の翌日に増えていたり、何も心当たりが無いのに減っていたり。

 しかし、トレンドとしては右肩下がりだ。


 オレもやるもんだ。

 意志の弱さでは誰にも負けない、と思っていたけど。


 しかし、脳外科の同門には万人が認める意志の強い男がいる。

 その人の名は、胃師賀強志いしがつよし先生。

 胃師賀いしが先生はオレより少しばかり卒業年次が古い。


 若い頃は無限の体力を生かしてバリバリ働いていた……わけではない。

 風俗王として君臨していたのだ。

 そして多くの若い研修医を悪の道に引っ張りこんだ。


 が、80年代末にエイズ騒ぎが勃発ぼっぱつした。


 分かっていながらも泥沼から抜けられない子羊たちを尻目に胃師賀先生は風俗通いをピタリと止めた。


「やっぱり胃師賀いしが先輩は凄いですね」

「あいつの意志の強さは尋常じゃない」


 皆が彼を賞賛した。


 風俗通いを止めたからといって、誉められるほどの事かね。

 でも、そう思ったのはオレくらいだったみたいだ。


 ちなみに現在の胃師賀先生は某大学の要職についている。

 やはりジュースを飲まないだけの凡人とは違っているのだろう。



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