第514話 祈らない男

 前回は祈る女について述べた。

 今回は祈らない男について述べたい。


 先に言っておくと、祈ることを否定する意図は全くない。

 そして、祈らないことも否定しない。


 さて、宮本武蔵はこう言ったそうだ。


  我、神仏をたっとびて、神仏を頼らず


 決闘の場所に向かう途中、寺だか神社だかの前を通った武蔵。

 思わず祈ろうとしたが、思い直した。

 神仏に頼ってどうする!

 頼るべきは己の技と力だ、と。



 また、勝新太郎はこう言ったとか。


  運が良くなったら困るじゃないか。


 ある人に改名を勧められた時のセリフだそうだ。

 自分が俳優としてのし上がっていくのは当然の事。

 後で「改名が運を呼び込んだ」などと言われたくない、という意味だろう。


 勝新太郎の舞台での出来事。

 まだ赤子である我が子との別れの場面。

 芝居の中でも最も大切な瞬間に草履ぞうり鼻緒はなおが切れた。

 準備した小道具係は顔面蒼白だ。


 すかさず、鼻緒の切れた草履を勝新太郎は拾い上げた。

 そして、涙を流しながらふところに抱いたのだ。

 まるでその草履が我が子であるかのように。


 観客席からはすすり泣きの声が聞こえてくる。

 そして小道具係も思わずもらい泣きしながら思った。

 急場を感動に変えてしまったこの人は別格だ、と。



 話を祈りに戻す。


 考えてみれば、オレも前ほど神仏に祈らない。

 以前は手術の朝、家を出るときに思いつく限りの神様仏様を拝んでいた。

 が、いつのまにかその習慣がなくなっている。


 脳動脈瘤クリッピングなら、開口部の楕円に対してどうクリップをかけるか。

 血管吻合なら、動脈の壁と壁をどう合わせるか。

 それをイメージすることに集中している。


 そういえば、最近は頭の中のイメージが以前より鮮明になってきた気がする。

 左手に持った鑷子で血管壁のどの部分を摘まむか。

 右手に持った持針器で針のどこを把持するか。

 時には出塁を狙うバッターのように、針を短く持つこともある。


 ただ、いささか背伸びを強いられる手術については……祈ることもあるかな。


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