第513話 祈る女
病気が治って欲しい。
貧乏から抜け出したい。
いじめられないようにしたい。
人は色々な事で悩み、またそれを解決したいと思うものだ。
だから神社仏閣、あるいは教会で祈る。
そして
果たしてこういった祈りには効果があるのか?
驚いた事にそれを本気で調べた医学研究があるそうだ。
記憶に頼って述べるので、細部が違っているかもしれない。
おおむねこういった事だったように思う。
介入対象はニューヨークかどこかの病院の入院患者だ。
「祈り」は近くの教会に大勢の人間を集めて行われた。
週1回だか、日に1回だか。
入院患者が回復するよう皆で祈った、力一杯祈った。
これが介入群。
一方、大勢の人間が集まるだけで祈らない日も設けた。
そちらは対照群だ。
果たして「祈り」の効果はあったのか?
介入群の治療成績は対照群の治療成績より有意に優れていたのか。
残念ながら「祈り」の効果はなかった。
介入群には1ミリたりとも治療成績に改善がみられなかったのだ。
よって「神様、病気を治してください」という祈りには効果がない。
論文はそう結論づけていたように思う。
よく真面目にこんな実験をやったものだ、と感心する。
さすがエビデンスを積み上げて成果をあげてきた西洋医学。
研究をデザインし、データを出し、統計処理し、結論を出す。
やった方もやった方だが、論文を査読して採択した方もした方だ。
しか~し。
この研究結果を尊重しつつも、オレは「祈り」には効果があると思う。
その理由を述べたい。
「祈る」の対義語は何か?
それは「祈らない」ではない。
「祈る」の対義語は「
自分が肺癌になったのはヘビースモーカーの亭主のせいだ、と恨む。
自分の
半ば事実かもしれない。
が、そんな事を思っている間はいつまで経っても不幸なままだ。
幸せになりたかったら、誰かを恨んだり責めたりしてはならない。
年中愚痴をこぼしていて幸せになった人がいるか?
誰かを恨んだり責めたりしたら幸福になれるのか?
無理だ。
少なくともオレはそんな人間を見た事がない。
できれば、そういうネガティブな人間からは距離を置く。
不幸が自分に伝染するような気がするからだ。
で、「祈り」の効果に戻る。
祈る人は自分のあるべき姿、自分の願う未来を思い描いているのだ。
あいつさえいなければ、あんな事さえなかったら、などとは決して思わない。
ひょっとして心の中で思っているかもしれないが、ごく僅かだろう。
祈っている間は、恨んだり責めたりという事は心の隅に追いやられる。
「恨む」「責める」という行為は不幸を呼び寄せてしまい、いつまで経っても幸せになれない。
だから「祈り」には効果がある。
少なくとも敢えて不幸を招き入れるような事はない。
余計な障害物があったら幸せに
が、目の前がフラットならひたすら目標に向かって進むだけだ。
だからオレが「祈り」の効果を証明する研究をするなら、こうデザインする。
まず祈るのは、あくまでも本人だ。
そして、生存期間みたいな客観的指標とともに、SF-36のような主観的指標も測定する。
SF-36とは、健康に関連した生活の質の評価尺度で「活力」「落ち込み」「つきあいの減少」「歩く」「着替え・入浴」など36項目について評価対象者自身が自分で点数化するものだ。
オレが想像するに、祈った人は生存期間が延びる事はないにしても、SF-36の点数は有意に改善するのではなかろうか。
もしそのような結果を得ることができれば、「祈り」は十分に効果があったといえる。
祈る相手は神様でも仏様でも何でもいい。
神社仏閣、教会を問わない。
ひょっとすると3群の研究でもいいかもしれない。
「祈る」「何もしない」「恨む」の3群だ。
「何もしない」の対照群に比べて、SF-36の点数は「祈る」が良く、「恨む」が悪いんじゃなかろうか。
こういう医学研究があってもいいと思うけど。
誰かやってくれないかな。
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