第509話 盛り上がった男

 先日、医師会の集まりがあった。

 中華料理屋での懇親会だ。


 医師会というと、テレビドラマ「白い巨塔」の影響が大きい。

 年中、酒を飲んで悪だくみをしているイメージがある。

 実際には健診とか休日診療所の出務とか紛争解決とか。

 そんな地味な仕事が多い。


 オレ自身についていえば、出席すべき委員会は年間30回ほどある。

 一方、飲食を伴う懇親会というのは年2回だ。

 それも料亭などではない。

 今年度は中華料理屋と饂飩屋うどんやだった。

 どちらも会費制だ。


 それはさておき。


 医師会には比較的高齢の先生が多い。

 そのせいか、中華料理屋ではもっぱら昭和の思い出話に花が咲いた。


「当時の研修医は月給が10万円でしたね」

「だから当直のアルバイトばかり行っていました」


 オレも毎朝色々なバイト先から大学病院に出勤していた。


「プロパーさんとの癒着もひどかったです」

「今では考えられない事ですけど」


 プロパーというのは当時の呼称で、今はMRという。

 製薬会社のセールスマンだ。

 市内の繁華街で接待を受けた事は数知れず。

 言うまでもなく各製薬会社が研修医を籠絡ろうらくして自社の抗菌薬を使わせようという魂胆こんたんを持っていた。


「今の研修医はそんな事、知らないでしょうね」

「研修医どころかスタッフでもそんな経験はほとんどないでしょう」


 カニやフグを食べたり、綺麗どころのいる店に行ったり。

 オレたちの接待そっちのけでプロパー自身も楽しんでいた。

 一種の共犯関係だったとも言える。


 1990年代の終わりとともに、そういう状況がなくなった。

 製薬会社がコスト削減に力を入れ始めたこと。

 研究資金申請のための各種倫理規定がうるさくなったこと。

 学会発表や論文作成の際にも利益相反りえきそうはんの内容を公表しなくてはならない。


 いちいち面倒だ。


 何よりもオレたちが接待に飽きてしまったことが大きい気がする。


「接待がなくなってむしろ清々すがすがしい気がします」

「夜の街って、そんなに楽しいところでもないし」

他人様ひとさまの金で飲み食いするのも、もううんざりですね」

「先生は一通り経験したからそんな事を言えるんですよ」


 もう皆が言いたい放題。


 でも、その気持ちは良く分かる。

 結局、あれは何だったんだ、という思いだけが残った。


 むしろ、何日も病院に泊まって重症患者を治療した、とか。

 椅子を並べて寝ていた、とか。

 上の先生に死ぬほど怒られた、とか。


 大変だったけど、精一杯頑張った研修の方が、今では良い思い出になっている。

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