第508話 熱血指導を受ける男

「そうすると、この人の腰痛の原因は何になるわけ?」

「椎間板ヘルニアとか……」

「80代だぞ。椎間板ヘルニアの可能性が無いわけじゃないけど」

「腰椎圧迫骨折とか、でしょうか」

「その可能性はあるよな。どこの部分が痛いんだったかな」


 初期研修医の新入院症例プレゼンテーションは例外なく炎上する。

 この日も腰痛で入院した80代女性を巡って針のむしろだ。


棘突起きょくとっきを叩くとか、前屈ぜんくつさせてみるとか、確認したか」

「それが……コルセットをしているもんですから」

「もうコルセットを作っているわけ?」

「家から持ってきたんです」


 なるほど、以前にも圧迫骨折をしたって事か。


「コルセットを取れよ」

「取っちゃっていいんですか?」

「当たり前じゃん。診察するのに邪魔だったらコルセットを脱がせろ」

「そうします」

「『どれ、わしが脱がせてやろう。減るもんじゃなし』と迫るのが面白いわけよ」


 オレがそう言うと、周囲から「悪代官様あくだいかんさまですか」とか「先生、それは変態です」とか、非難されちまった。

 ギャグの通じない連中だ。


「とにかく、担当医が診察しなくて誰がするんだ?」

「……」

「先生が診断して治療方針を決めないと駄目だろ」


 医学生じゃあるまいし、もっと当事者意識を持ってもらいたいもんだ。


「じゃあ、コルセットをしたら腰痛は楽になったのかな」

「いやあ、認知症があって、訴えがよく分からないんですよ」

「ホントか? 本当に先生はその質問をしたのか」

「しては……いないですけど」


 研修医が下手な言い逃れをしようとしても無理というもの。

 なぜなら「認知症があるから良くわかりません」というわけは、オレ自身が若い時に何度も使って余計に事態を悪化させたからだ。


「あのなあ、認知症があるからはなからかないのと、答えを聴き出そうと努力したけど無理だったというのは雲泥の差だぞ」


 認知症の人はあまり我慢をしないので、痛み系の所見はむしろ取りやすい。

 普通の人の2倍は痛がるからだ。



 今日の総合診療科そうしんカンファレンスでは2人いる研修医のうちの1人が当直明けで帰ってしまっているので、1人しかいない。

 それに対して指導医の方は常勤と非常勤あわせて4人。

 4対1の熱血指導が続く。


「腰痛で入院したにしても、他にも色々病気があると思うんだけど」


 鬼塚香織おにつかかおり先生も熱血指導に加わる。


「ええ、腰痛の他にも高血圧や糖尿病があります」

「糖尿病の薬は何を使っているの」

「インスリンはヒューマリンRとヒューマリンNを打っていて……」

「認知症の独居老人がちゃんと自己注射できているのかな」

「いや、かかりつけの先生が出していたものですから」

「入院したんだから、ちゃんと注射ができているかどうかを先生が確認しないと」

「すみません」


「コルセットつけて転院させたら後は知らないよ~」とか考えていたんだろうな、この研修医。

 鬼塚先生が見逃してくれるはずもない。


「ちゃんと自己注射ができていなかったら、血糖コントロールの方法も考え直さないといけないでしょう。家に戻った時の事も考えてあげてよ!」

「そうですね」

「入院は薬の整理をするいい機会なんだから」


 その時、研修医の院内PHSが鳴った。

「カンファレンス中なので」と研修医が言っているのに、延々話が終わらない。

 電話の相手は、単にカンファレンスに出席しているだけだと甘く見ているのか。


 PHSを切った研修医にオレは声をかけた。


「いっその事、『カンファレンスでサンドバッグになっています。助けてください!』と言えば手短てみじかにすませてくれるんじゃないか?」


 すると呆れたように鬼塚先生が続けた。


「ひょっとして助けに来てくれるんじゃないの」


 援軍が来たらまとめてボコりそうだな、鬼塚先生は。



 結局、なんだかんだで2症例のプレゼンに2時間半かかった。

 もう研修医は腰が抜けてしまってイスから立てない。


「先生方、こんなに時間を使ってもらって大丈夫でしょうか」


 おずおずと尋ねた研修医に罵声ばせいが飛ぶ。


「そう思うんだったらちゃんと調べて来い。1例15分以内に済ませろ!」

「すみません」


 カンファレンスがあるのは分かっているんだから、朝5時には出勤して練習しろよ。

 定時の9時に出勤していいのはキチンとしたプレゼンのできる奴だけだ。


 いや、逆か。


 デキる研修医はかげで死ぬほど努力している。

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