第507話 試練に耐える男

「この人、揉めているんですよね」

「何でまた?」

「入院中に転倒して、こんな事になっちゃったんで」


 電子カルテにうつしだされた頭部CTでは左側に急性硬膜外血腫、右側に急性硬膜下血腫とくも膜下出血、真ん中付近に脳出血がうつっている。

 昨夜の開頭手術で急性硬膜下血腫が除去された。


「まあ、怒られているのは内科の方で、脳外科までは飛び火していないんですけどね」

「そりゃそうだろ。こっちは頭部外傷の手術しただけなんだから」

「息子さんが特に強硬な人で、『なんで入院しているのにこんな事になってしまうんだ!』と怒鳴られているんですよ、内科の担当医は」


 そう脳外科レジデントが言った。


「で、援護射撃はしてやったのか、内科の先生の」

「援護射撃って?」

「左側を打って側頭骨骨折と急性硬膜外血腫、右側は対側損傷コントラ・クーで急性硬膜下血腫プラス外傷性くも膜下出血、それはいいよな」

「そうですね」

「でも、なんでこんな所に脳出血があるわけ?」

「えっ、それは……脳挫傷とか、でしょうか」


 虚をつかれたレジデントの目が泳ぐ。


「脳挫傷ってもっと汚いよな、普通は。こんな綺麗な丸い出血は内因性のものじゃないのかな」

「高血圧性脳出血ってことですか?」

「高血圧性にしては場所が典型的じゃないから、アミロイド・アンギオパチーの可能性の方が高いだろ。この人はいくつだったかな」

「86歳です」

「なら、アミロイド・アンギオパチーの可能性は十分あるじゃないか」

「そうかもしれませんね」

「ということは歩いていた時に脳出血が起こって転倒したんだろ、一体どこに病院の過失があるのかな」

「それだったら病院側の落ち度は無い事になりますね」

「そう言ってやれよ、手術するだけでなく」


 ことここに至ってようやくレジデントは事態が呑み込めたようだ。


 急性硬膜外血腫と急性硬膜下血腫が転倒によるものというのは間違いないだろう。

 でも、その転倒が突然起こった脳出血によるものだったら防ぎようがない。

 さらに高齢者のアミロイド・アンギオパチーは決して珍しくない。


「で、どうやってアミロイド・アンギオパチーを証明したらいいのかな?」

「……」

「状態が落ち着いたら頭部MRIだ。T2*ティーツースター強調画像か磁化率強調画像SWIで無症候性の微小出血が沢山みつかるはずだな」

「なるほど」

「それと亡くなった時には必ず解剖しろ」

「解剖までするんですか」

「当たり前だろ。家族に拒否されたら『真実が分かったら何かマズイことでもあるんすか?』とあおってやれ」

「言えません、そんな事」

「本当に言うわけないだろ。『キチンと調べておきましょうね、賠償にも関係してきますし』とでも言えば必ず解剖に賛同してくれるよ」

「もしアミロイド・アンギオパチーじゃなかったら賠償するって事ですか」

「したらいいじゃん。『過失があればお金を払いますが、過失がなければ払いません』というのは正論だろ。過失がないのに賠償させられるのが最悪なんだからさ、そのくらい腹をくくれよ」

「わ、わかりました」


 もっとも、単なる転倒で頭を打ったとしても100%病院の過失というわけではない。

 最近はどこの病院でも入院時に全患者に対して転倒・転落アセスメントを行い、対策をとっている。

 2足歩行にそくほこうしているかぎり人間ってのは転倒するもんだ。

 実際には病院での転倒の何十倍もの転倒が自宅で起こっている。

 だからといって自分を責めている家族は本当に少ない。


「ウチのお婆ちゃんが転んで頭を打ったから心配だ。すぐに診てくれ、治療してくれ。なんかあったら責任とってくれるのか。後で何か起こったりしないだろうな!」


 これまでの医師人生、100回は聞かされた台詞だ。


 本来なら患者の家族はこう言うべきだろう。


「こちらの不注意で目を離した隙にお婆ちゃんが転んでしまいました。頭も打っているみたいなんで心配です。先生方には御迷惑をおかけして申し訳ありません。この年齢ですから覚悟はしていますが、少しでも後遺症が減るよう、よろしくお願いします」


 こんな事を言ってくれる家族がいたら、こっちの方が恐縮する。


 それはさておき。


 今回の入院患者、脳外科のレジデントにとってもいい勉強の機会になる。

 ちょっとばかり家族に罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられても、それは試練だと思って耐えてもらおう。

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