第503話 幼く見える男

「最近、この子の弟が結婚したんですけどね、お嫁さんに『お義兄にいさん、幼く見える!』と言われてしまったんですよ」


 そうオレに言ったのは患者の母親だ。

 確かにもうすぐ30歳になろうかという年齢なのに20歳そこそこにしか見えない。


「もうちょっとオッサンになって欲しいと、お母さんはそう思うわけですか」

「いや、オッサンがいいとは言わないんですけど。女の子から見て頼りになると思われる方がいいかなって」

「いやあ、好みなんて人それぞれですからね。この前、『彼氏は3歳年下さいとしした』と言った看護師さんが周囲から『いいなあ!』と言われていましたよ」


 とは言え、お母さんが心配するのももっともだ。

 オレにとっても患者は小学生のままで止まっている。



 もう20年も前になるだろうか。


 当直していたオレは他院からの転送要請の電話に叩き起こされた。

 脳内出血で深昏睡しんこんすいの男児を受け入れて欲しい、とのこと。

 よく考える暇もなく「すぐに送ってください」と返事した。


 左側頭葉の脳内出血が脳室に穿破せんぱして水頭症を起こしている。

 それからの2ヶ月、いや3ヶ月は患児とその家族にとって激動の日々だった。

 もちろんオレたちの生活にも少なからぬ影響があったのはいなめない。


 脳室ドレナージ、人工呼吸管理、誤嚥性肺炎ごえんせいはいえんの治療、脳室腹腔短絡術V-Pシャント、などなど。

 一筋縄ひとすじなわではいかない治療経過だ。

 さらに、病状説明ムンテラをするたびに患児の母親が倒れそうになった。


「あのお母さんに話をするのも大変ですねえ」


 そう言って周りが同情してくれた。

 でも、子供が病気になった時の母親なんてのは何時いつもそんなもんだ。


 脳内出血の原因は先天的な脳動静脈奇形AVMだった。

 開頭手術で摘出するか、定位放射線治療ガンマナイフで焼き切るか。

 前者なら1回で決着がつくが、後者なら治療効果が出るまで2年かかる。

 それまでに再出血したら目も当てられない。


 が、少しでも後遺障害を減らすために定位放射線治療ガンマナイフを選択する。


 患児は無事に自宅退院することができた。

 が、学校生活は散々だ。

 かつて勉強もスポーツもできたために「出木杉できすぎくん」と呼ばれていた頃の面影は全くない。

 記憶障害、視野欠損、不全片麻痺ふぜんへんまひなどで、普通の生活を送るにも一苦労だ。


 以来、春休み、夏休み、冬休みのたびに脳外科外来を受診する。

 脳室腹腔短絡術V-Pシャントの圧確認とともに、親子を励ますというのがオレの役割だ。

 成績の方も徐々に同学年の子供たちに追いつき、無事に大学を卒業して就職した。


 本人は自分の得意不得意をよく知っている。

 だから何でもスマホにメモして記憶障害を補う。

 それに幼児相手の仕事なので、あまりボロが出ることはない。


 現在の親子の悩みはどうやって彼女をつくるか、ということだ。

 これまでオレは自信を持って医学的な事や受験のアドバイスをしてきた。

 そのせいか恋愛についても色々と尋ねられる。

 が、そっち方面はあまり得意じゃないのよね。


 でも、親子の期待にはこたえる必要がある。


 幸い「見本をみせてみろ」と言われるわけじゃない。

 ここはひとつ、適当な相槌あいづちを打っておこう。

 そうすれば親子は勝手に良い方に解釈して納得してくれそうだし。

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