第501話 リベンジする男 3

(前回からの続き)


まず中大脳動脈ちゅうだいのうどうみゃくにかかっているクリップを外す。

たちまち血液が吻合部ふんごうぶに逆流し隙間すきまからリークし始める。


リークを止めるためにオレは再度クリップをかけた。


続いてもう1本の中大脳動脈クリップを外す。

こちらも血流が回復するとともに吻合部の隙間から血液がリークする。

再度クリップをかけざるを得ない。


「うーん、結構漏れるな」

「でもこのくらいだったらサージセルで固めてしまってもいいと思いますけど」

「サージセルを使う前に1分間待とう。かつて偉い先生が再遮断さいしゃだんして1分間待つという技を使っていてね」

「そうすると漏れなくなるんですか?」

「そう。血液がのりとなって隙間すきまふさぐみたいなんだ」


1分間待ってから片方のクリップをもう1度外す。

相変わらずリークする。


「一方だけはずすから血液の行き場がなくて漏れるんじゃないですか。もう一方も外したらどうでしょうか」


そう、ギャラリーから声がかかった。


「そう言われりゃそうだ。もう一方も外そう」


期待した通り、2本のクリップを外すとリークが減ってきた。


次はいよいよ浅側頭動脈せんそくとうどうみゃくの遮断解除だ。

慎重にクリップを外す。


途端に浅側頭動脈が力強く拍動し始めた。


「遮断解除しました」

「42分です」


まあまあ時間がかかったが、オレは速さより確実さを優先している。

長時間の遮断に耐えることができるよう、麻酔科に頼んで二酸化炭素分圧は40mmHg以上とし、吸入酸素濃度は100%にしてもらっていた。

その上で内膜を確認しながら悠々ゆうゆうと縫うのがオレのスタイルだ。

あくまでも悠々と……


「ドプラーで確認しよう」


ドプラープローベをまず浅側頭動脈にあてる。


「ブシューン、ブシューン、ブシューン、ブシューン」


プローベをあてるかあてないかのうちにドプラーの血流音が鳴り響く。

次は中大脳動脈だ。


「シューン、シューン、シューン、シューン」


伸びのあるいい音だ。

閉塞していたらこうはいかない。


「シュッ、シュッ、シュッ、シュッ」


こんな感じで音が伸びないのだ。


続けてドプラーで中大脳動脈の近位側、遠位側とも血流を確認した。

さらにICGで血流を見る。


微かな蛍光を綺麗に拾うために天井の電気を落とす。

心電図の光が明滅する真っ暗な部屋の中、ICGの鮮やかな白色がモニター画面一杯に広がる。


「前頭葉側の血流もよくなりましたね」

「見ていて失敗する気がしませんでした」


そうギャラリーから声がかかった。

いつの間にかモニターの前には5~6人集まっていた。


「お蔭様でうまく行きました。皆さん、ありがとうございます」と言いながら、オレはギャラリーと麻酔科医に向かって頭を下げる。


思いがけない拍手がギャラリーから湧きおこった。

口には出さなかったが前回のリベンジであることは皆が意識していたのだ。


限りない安堵感と達成感。

脳外科医ならではの瞬間だ。


幸い、術後の患者は調子が良かった。

神経症状が出ないだけでなく、なぜか雨の日の頭痛も解消したそうだ。

理屈はわからないが人体の不思議としか言いようがない。



今後の人生であと何回この手術をすることがあるのだろうか?

数十回かもしれないし、全くゼロかもしれない。


もし手術の機会が全くなかったとしたら……

あの数百もの手羽先てばさきの練習に費やした時間に比べてコストパフォーマンスが悪すぎる。

この場合はエフォートパフォーマンスというべきか。


が、そういった計算をする事はオレの美学に反する。


コストパフォーマンスなんぞ糞くらえだ。


これ以上できないという所まで練習をしてから手術にのぞむのは当然の事。

たとえ今回が最後の手術になったとしても、そのために要した努力を惜しいとは思わない。


なぜならば……

抜く抜かないにかかわらずさやの中の刀は常にませておく。

そういう人間でありたいと願うからだ。


(「リベンジする男」シリーズ 完)



★読者の皆様

お蔭様で501話に達しました。

1,000話を目指している私にとっては折り返し点です。

引き続き御支援いただきますよう、よろしくお願いいたします。


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