第491話 星をつける男

「主人が5月に亡くなりましてね」


 そう口にしたのは80歳になる高齢女性。

 場所は脳外科外来だ。


「こちらの病院でも色々とお世話になりました」


 ということは奥さんだけでなく、亭主の方もウチの患者だったのか。


「御主人の下のお名前は?」

「伝之助です」


 その名前で検索すると電子カルテデンカルに出て来たのは1つだけだ。


「〇〇市〇〇町x-x-xであってますか?」

「ええ」


 そのまま電子カルテデンカルを開いてみる。

 奥さんは亭主の死亡直後にこちらの病院にも連絡したそうだが「★」、いわゆる星印がついていない。

 電話を取った人間が入力していなかったわけだ。


 亡くなった人には名前のところに星印がつくことになっている。

 一目見て生死が分かるように。

 でなければ120歳でも生きている人ばかりになってしまう。

 カルテの年齢は自動的に増えていくからだ。


 亡くなったのに星印のない人には誰かが手作業でデータ入力をしなくてはならない。

 だから、患者プロファイルのページを開いてオレが入れることにした。


「ええっと、亡くなったのは2023年5月何日でしたか」

「〇日です」

「時間は分かりますか?」

「3時26分ですね」

「3時というのは午前ですか、それとも午後でしょうか」

「午前です」


 正確な時刻を告げられた。


「どちらの病院で?」

「応仁病院です」

「どういった病気だったのでしょうか」


 肺炎とか腎不全とか、端的な答えは返ってこなかった。


「最初は中咽頭癌で手術して、その後に気管切開して胃瘻もつくって」


 オレはうなずきながら聴くふりをした。


 当該患者の病名一覧には50ほどの疾患名が並んでいる。

 肺炎とか糖尿病疑いとかB型肝炎疑いとか。


 これらは「保険病名」と呼ばれる方便ほうべんの一覧だ。

「肺炎」は実際にあって抗菌薬を使ったのだろう、転帰欄は「軽快」となっている。

「糖尿病疑い」や「B型肝炎疑い」は、たまに検査する時に仮につけた病名だ。

 黙って検査すると査定さていされる。

 つまり支払い基金への請求が削られてしまうのだ。

 かならず「糖尿病を疑ったので検査しました」「B型肝炎を疑ったので検査しました」という正当化が必要になる。

 それぞれ転帰欄には「中止」とある。


「応仁病院にうつってからも時々調子が悪くなったので急に呼び出されたりして……」


 病名一覧を見ながら、オレは奥さんの話にうなずき続ける。

 話の内容にかかわらず、聴いている姿勢をとっておこう。


 50ほどの病名のうち、転帰のないものが2つあった。

 中咽頭癌ちゅういんとうがんと直腸癌だ。

 なかなかハードモードの人生だったことが分かる。


 それぞれ転帰欄に「死亡」と記入する。

 これでカルテに書くべき事はすべて記入した。

 完成だ!


 オレはカルテを未完成で放置するのが気持ち悪い。

 だから死亡の知らせを聞いたら即座に詳細を確認して完成させる。


「主人はずっと病院に入っていたものですから」

「ええ」

「亡くなっても実感がないんです」


 確かに自宅にいた亭主が急に亡くなったら喪失感は大きい。

 朝起きるたびに隣に寝ているはずの人がいない事に気づかされるわけだ。


「入院中の御主人が亡くなっても日常生活は変わりませんからね」

「そうなんですよ」

「お蔭様で御主人のカルテを完成させる事ができました」

「良かった」


 そう言って奥さんは立ち上がった。


「御冥福をお祈りします」

「ありがとうございます……色々、聴いてくださって」


 奥さんは何度も頭を下げて立ち去った。


 ちゃんと星印もつけたので、カルテ的には成仏じょうぶつした事になる。

 オレはちょっとした達成感を味わった。


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