第489話 アルバイトをする男

 オレが医学部を卒業した時はまだ新医師臨床研修制度が始まっていなかった。

 だから研修医は大学病院の非常勤で、ボーナスなしの月給10万円程度。

 あとはアルバイトで何とかしろ、という方式だった。


 だからアルバイトせざるを得なかった。

 といっても、本業があるので無限にできるわけではない。

 オレが研修していた麻酔科では週5.5日のうち1日は昼間のアルバイトが認められていた。

 だから検診やクリニックの手伝いなどに行く。

 そのほかに夜の当直バイトに行くこともあり、収入はボーナスなしの月40万円程度。

 退職金が無いことを考えると、同年代で同程度の学歴のサラリーマンよりちょっとマシといったところだろうか。


 ところが研修医によってはひたすらバイトに励む者もいた。

 たとえば内科で研修していた嵐田あらしださんと加世田かせださん。

 お二方ふたかたもオレと医学部で同級生だったけれど、学士入学で妻子もいたことからお金を必要としていた。


 学生時代から家庭教師や塾講師のアルバイトをしていたが、卒業したら拍車がかかった。

 教授回診のある月曜の午前中だけ大学病院に出勤する。

 が、それ以外はすべてアルバイトに明け暮れていた。


 市中病院やクリニックに手伝いに行ったり、検診のアルバイトをしたり。

 土日は当直のアルバイトもしていたそうだ。


 いつしか嵐田あらしだ加世田かせだを組み合わせて「荒稼あらかせぎコンビ」と呼ばれるようになった。


 オレは学生時代から嵐田さんと親しくしていた。

 彼はオレより10歳ほど年上で、工学部卒業後に家電メーカー経由で医学部に入学し直したのだ。

 でも、学生でありながら一家の大黒柱でもあったので、勉強そっちのけでのアルバイトだ。

「幼稚園は午前中しか子供を預かってくれないから困るよ」と、よくこぼしていた。



 他にも診療科によってはアルバイト三昧ざんまいのところもあった。


 100万円プレーヤーとか、1000万円プレーヤーとかいう言葉が生まれたのもこの頃だ。

 前者は月に100万円以上稼ぐ人。

 後者は年収が1000万円を超えたスター選手の事をいう。


 もちろん、そんな事をしていてまともな研修ができるはずもない。

 だから2004年春から始まった新医師臨床研修制度ではアルバイトは禁止されている。

 その代わり、月30万円程度の給料が出る。

 とはいえ、ボーナスなし、退職金なしだから数字から想像できるほど良い金額ではない。



 時代を経ても人間の本質は同じだ。


 現在、ある大学病院は研修医に人気だが、聞けばひたすらゆるいのだとか。

 また、厳しいことで有名な某病院では研修医達が上限一杯の超勤をつけてくるそうだ。


 こうやって試行錯誤しながらも最後には落ち着くところに落ち着くのだろう。

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