第488話 咳の止まらない男

 学生時代、卓球部での出来事。

 練習が終わり、誰かの車に便乗して帰る時の事だった。

 オレを含めて男3人、女2人だったか、その逆だったか。

 全学の卓球部だったので、経済学部や工学部など色々なメンツがいた。


 ボーッと窓の外を眺めていたオレの耳に他の連中の話が聞こえてくる。


 あの時はどうだった、この時はどうだった……

 皆で遊びに行ったり旅行に行ったりした時の話題だ。

 すべてオレの知らない話ばっかりだった。


 年頃の男女が一緒にクラブ活動をやっているんだ。

 そりゃあ色々と楽しい事もあるだろう。

 オレが加わっていなかったのは、たまたま居合わせなかったからに違いない。


 そう頭では理解していたつもりだったが、心は納得していなかったようだ。

 心の鬱屈うっくつは体の不調となって表れた。


 急に咳が出始めた。


「ガホン、ガホーン!」


 慌てて咳を飲み込もうとしたが無駄だった。


「ぐぐぐ、ガホーン」


 ヘンな咳はさらに続く。


「大丈夫か!」

「先輩、どこか具合悪いんですか?」


 皆が心配してくれる。


「大丈夫、大丈……ガホーン」


 仮にも医学生だったオレは薄々悟うすうすさとっていた。

 こいつは心因性の咳嗽がいそうだ、と。

 自分が皆の青春の輪の外に居た事を知った心が悲鳴を上げたのだろう。


 決して仲間外れにされたのではないはず。

 クソ忙しかった医学生のオレに皆が気をつかっていてくれたのだと思う。

 でも、オレの意に反してヘンな咳は出続けた。


 やがて、いつも降ろしてもらう場所に来た。


「病院に行かなくていいですか?」

「いやいや、その必要は……ガホーン」


 とにかくオレは車から降りた。

 1人になりたかったからだ。


 視界から車が消えると同時に咳が出なくなった。

 1分、2分……


 全く咳が出ない。

 やはり心因性だったのだろう。


 案外、オレも心の弱い人間だったのかな。

 ちょっと情けなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る