第487話 優しく強引な男
「
それが恋愛における必勝パターンなのだそうだ。
同級生の女の子から聞いたような気がする。
高校生時代だったか、大学生時代だったか。
ひょっとして予備校生時代かもしれない。
でも、せっかく教わった必勝パターンを生かすことができなかった。
青春時代のオレはいつもモジモジしていたような気がする。
そんなオレがオッサンになってから患者相手に「優しく、ちょっと強引に」を実行している。
お相手は、40代の人妻だ。
話の流れから、読者はあらぬ
が、それはちょっと違う。
まあ聞いてくれ。
その奥さんは自転車走行中に乗用車にはねられて頭部を強く打った。
事故前後数時間の記憶が飛んでいる。
これを
衝撃の強さを物語っている。
ともあれ、数日間の入院加療の後、無事に退院する事ができた。
が、自宅では以前ほど効率的に家事をすることができない。
それまで何品もつくっていたおかずが今は1つか2つになってしまった。
御主人のワイシャツや娘さんのブラウスのアイロンがけも面倒だ。
家の床にはうっすら埃がたまっている。
典型的な高次脳機能障害だ。
脳外科外来で彼女は涙ぐんでいた。
事故に遭って皆に迷惑をかけた。
主婦としての仕事もできていない。
こんな自分は生きていても仕方がないんじゃないか。
そこまでの話を聞かされたオレは思わず院内PHSを手に取った。
電話をかける相手は精神科の部長だ。
ウチの精神科は一般的な精神疾患には対応していない。
HIV患者と救命センター患者、そして職員のメンタルケアで手一杯だからだ。
でも、目の前に瀕死の患者がいたら話は変わってくる。
「すみません、脳外科外来の患者さんですが、自殺企図があるので至急ご対応願います」
「どのような状態ですか?」
「頭部外傷の40代女性なのですが、さきほどから『生きていても仕方ない』と言っているんです。このまま建物から出すわけにいきません」
「分かりました。すぐに連れて来てください」
「ありがとうございます!」
突然の精神科受診を告げられて戸惑っている奥さんの手を引っ張った。
無理矢理、精神科外来まで連れていく。
外来に駆け付けてきた精神科の部長にバトンタッチし、ようやく肩の荷がおりた。
そんな事があってから数ヵ月。
脳外科外来にやってきた奥さんは以前より明るい表情になっている。
「小さな、本当に小さな粒の薬をいただいただけなんですが、ずっと楽になりました」
「それは良かったです」
「あのまま帰っていたら、馬鹿な事をしていたかもしれません」
「馬鹿な事?」
「地下鉄のホームで電車に吸い込まれそうな気がしていたんです」
それ、危なすぎるじゃん!
精神科に連れていって良かった。
でも、完全に解決したわけではない。
「『お母さん、いつも同じおかずばっかり!』って、娘に言われていて」
「娘さんは大学生でしたか?」
「そうなんですよ」
頭部外傷後の高次脳機能障害というのは周囲の人や家族に理解されない事が多い。
「じゃあ、次の診察で娘さんにも一緒に来てもらって下さい」
「娘も……ですか」
「私が分かるように説明してあげましょう。『お母さんは高次脳機能障害になって、何事も思うようにいかなくなったんだ。君とお父さんで手分けして家事を手伝ってあげなさい』って」
「でも、主人も娘も忙しいので」
「忙しくても関係ありません! この病気は御家族の理解と支えが1番大切なんです。次回、娘さんに付き添ってもらうようお願いします。必ずですよ」
「分かりました、娘の都合を
この押しの強さを
「優しく、ちょっと強引に」という必勝パターン。
恋愛に使えなかったけど仕事には活用できているんだから……それで良しとしよう。
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