第482話 ラミネートする男

「頭はどっちですか?」


 麻酔科医に声をかけられる。


「こっちです」


 オレは何枚も画像をっている壁の側を指さした。

 ウチの脳外科の手術では麻酔器を動かさず患者の方を動かす。

 だから右の開頭と左の開頭では頭の位置が逆になる。

 こいつを間違えたら大変な事になる。


 左右を間違えそうになるのは3年に1回くらいだろうか。

 いずれも自分が間違えそうになったわけではなく、見聞みききしたものだ。


 だから自分が術者の時にはあらかじめ壁に画像を貼っておく。

 そっちに頭が来るので間違える事はない。


 そもそも「画像を貼る」って何の事?

 読者にそう思われるかもしれない。


 脳血管造影アンギオとか頭部MRIとか、手術に必要な重要画像はキーフィルムと言われる。

 1人の患者あたり何百枚もある画像の中でもキーフイルムはせいぜい数枚しかない。

 その何枚かの画像をカラーでプリントアウトする。

 そしてプリントしたA4サイズの紙をラミネートするのだ。


 それを手術室に持っていき、患者の頭側になる壁に貼る。

 実際には手術中に画像を確認することはほとんどないが、画像を選んだり立体視用に組み合わせたりという準備の過程が手術計画立案の役に立つ。


 手術が終わったら回収し、2穴にけつをあけてファイリングする。

 そうして保管したものが便利な自分専用用手術記録だ。


 時には滅多に使わない手術機器なんかも使い方を写真に撮っておく。


 たとえば杉田式ヘッドフレームだ。

 これは4つのピンで患者の頭部を固定するときに使う。

 オレはほとんどの場合にメイフィールドの3点ピン固定を使っているが、たまに杉田式を使うことがある。


 その時の手術では、前の週の土曜日に病院にいって3時間ほどかけて納得いくまで使い方を確認した。

 そして、どのあなにどのネジを使うか、どのハンドルをどこに使うか、それらを全て写真に撮っておいた。

 後でパワーポイントに注釈つきで整理する。

 もちろんそのあとにはカラーでプリントアウトした上でラミネートしておく。

 全部で30枚ほどの写真だが、1ページ6枚のレイアウトだとせいぜい5ページで済む。

 再び杉田フレームを使うような事があれば、直前にこの5ページを見直すのは10分もあれば十分だ。


 自分の記憶容量の不足は文明の利器を使って補う。

 記憶力減退を嘆く高齢患者たちにも勧めているんだけど、本当に実行する人は少ないのが現実だ。

 むしろ、まだまだ若い同僚たちがオレの真似をし始めている。


 後生畏こうせいおそるべしとはこのことかもしれないな。

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