第480話 授業を忘れていた男

オレは YouTube を見ていた。


「その昔、ベジタリアンというかビーガンのような人が動けなくなってですね、肉を食べたら急に動けるようになったという事が有りまして」


ふむふむ。


「当時は発見されていなかったんですが、ビタミンB12の欠乏症だったわけですね」


なるほど。


この YouTube ではビタミンB12の不足による亜急性連合性脊髄変性症あきゅうせいれんごうせいせきずいへんせいしょうについて述べている。

そもそも神経内科の病気だし、名前からして恐ろしいし、見たことないし。

だから YouTube でにわか知識を仕入れているわけだ。


というのも今日は看護学校の授業があって……

あかん、忘れてた。

もう開始時間過ぎてるじゃん!


その時、院内PHSがなる。


「看護学校ですが、先生、授業の方を……」

「忘れてました。すぐに行きますっ!」

「お願いします」


急患にかかりっきりだったとか言えば良かったんだけど。

オレ正直者だから、ついうっかり「忘れてた」などと本当の事を言ってしまった。



遅ればせながら教室に入る。


前方のスクリーンにスライドを写して授業の開始だ。


オレは教科書の図をスライドにしておき、いつもそれを説明しながら授業を行う。


たとえば脊髄の解剖図。


なぜか脳は図の上が身体の前方になるが脊髄は反対だ。

つまり脳だと仰向けの図になっているのに対し、脊髄はうつ伏せの図になっている。

でも教科書にはそんな事を書いてないので、そこから説明しなくてはならない。


「この図では、こちらが前でこっちが後ろ。これが右で、こっちが左。まずは向きを確認しておくことが基本だ。皆さんの教科書には同じ図があると思うけど」


そう言いながら最前列の生徒の教科書をのぞむ。

彼女はタブレットの画面をスワイプして該当するページを探し出した。


教科書を全部スキャンしているのか。

そりゃあ便利だ。

オレなんか3年くらい前に渡された紙の教科書をそのまま使っている。

スライドの図はすべてデジカメで撮影したものをパワポに取り込んで作った。


「では、次は脊髄炎。色々な病気があるけど、症状としては手足の感覚障害とか対麻痺ついまひとか膀胱直腸障害ぼうこうちょくちょうしょうがいとか、共通部分が多い。この表が教科書のどこにあるか、ちゃんと分かるかな?」


隣の学生もタブレットで表を探している。

教科書をスキャンしている学生が随分多いみたいだ。


「では、問題を出してみよう。対麻痺ついまひというのは4本の手足のどれとどれが麻痺したものを言うのかな?」


オレは座席表を見ながら適当にあてた。

何故かあてられた学生より、隣の学生の方が狼狽うろたえている。


以前の座席表には名前に振り仮名がなかった。

だから、どうしても難読漢字は避けがちで、平仮名とか「子」のつく名前とか、読みやすい氏名の学生をあてることになる。

今回のように振り仮名がついていると有難い。

それにカクヨム作家として、登場人物に現代風いまふうの名前をつけるときの参考にもなる。


「んんんん、パス!」


あてられた学生がオレの質問をパスする。


「誰にパスするのかな? そうか、前の子にするのか」

「いえ、そんな事は言ってません」

「心配するな。キミが友達を売ったことは誰にも言わないから」

「違います!」


ということで前の学生にあてる。


「両足の麻痺です!」


そう言いながら前の学生は両手を突き出した。


「おいおい、両手を出しながら『両足です』と言われたら混乱するぞ」


教室がどっと沸いた。



後で看護学校の教官に聞いたら、教科書はもう電子書籍になっているそうだ。

その方が重い荷物を持たずにすむし、タブレットの書き込み機能も使えるとのこと。


毎年、この季節に授業をしているけれど、時代はどんどん進歩しているってことだな。



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