第474話 作戦勝ちした男 2

(前話からのつづき)


それでもオレは四苦八苦して剥離層はくりそうを決めた。

多少の腫瘍が残ってもできるだけ脳を傷つけてはならない。

でもあまりに腫瘍側で剥離すると、そのままどんどん中に切り込んでしまって境界が分からなくなる。

だから、ある程度しっかりした被膜は残すべきだ。


全周性に腫瘍と脳を剥離した時にはすでに顕微鏡操作マイクロそうさが3時間になっていた。


腫瘍の一部を採取して術中迅速ゲフリールに出すと髄膜腫ずいまくしゅという診断が返ってきた。

髄膜腫は良性腫瘍なので、患者に障害が残ることは許されない。


続いて腫瘍の中を繰り抜く内減圧という操作にうつった。

すなわちミカンの皮を残して、中の房だけを砕いて吸引する作業だ。

が、ここで第2の想定外があった。

地面に埋まっていたのはミカンではなく、スイカだったのだ。


吸っても吸っても皮が軟らかくならない。

しかも中身と皮との境界が曖昧だ。

中身を吸引中にうっかり皮を突き破ったら正常脳にダメージを与えてしまう。


ちょうどオレが行き詰っていたその時、視界の端にモニターを見ている若手スタッフの姿が見えた。


「先生、ちょっと変わってもらっていいかな」

「えっ、やらせてもらえるんですか?」

「もちろんだ。手伝ってよ」

「分かりました!」


いそいそと手を洗ってきた若手に代わってもらってオレは手をおろす。

彼は太目の吸引管を使ってどんどん腫瘍を摘出していく。


岡目八目おかめはちもくとはよく言ったもので、おそらくモニターを見ながら「自分だったらこうするのにな」と思っていたのだろう。

彼の手術操作には全く迷いがなかった。

途中でフレッシュパワーを投入するというオレの作戦が見事に当たった。

もちろん助手をつとめるレジデントも逐次交代ちくじこうたいだ。


が、腫瘍は想像以上に手強てごわかった。

顕微鏡操作マイクロそうさが3時間に及ぶにつれて若手スタッフの動きが鈍ってくる。

終わりの見えない腫瘍摘出。

いつ被膜を突き破って正常脳を傷つけてしまうか分からないという恐怖。

止まらない出血に行く手を妨げられる。

もはや彼が戦意喪失せんいそうしつしていることは誰の目にも明らかだ。


そこで、オレが次に声をかけたのが中堅スタッフだ。

若手スタッフからも懇願されて、彼は手を洗いにいった。

これまた横目八段よこめはちだん、モニターを見ながら歯がゆく思っていたのだろう。

ヤル気満々で術者を交代した。


次の3時間。


彼は腫瘍の中抜きをしつつ、被膜の外に綿片ベンシーツを挿入していく。

実に巧妙な手段だ。

こうしておけば吸引の最中に仮に被膜を突き破ったとしても綿片が脳を保護してくれる。


当初は固かった「スイカの皮」も、極限まで薄く削ると布のように柔らかくなってきた。

それを順に切り取りつつ、奥に奥に腫瘍除去を進める。


「こういう風にするんですか、勉強になるなあ」


オレの横でモニターを眺めつつ若手スタッフが溜息ためいきをつく。


遂に腫瘍はほぼ全摘された。

重要な神経や血管に接している部分にはえて被膜を残しておく。

多少残ったとしても、患者の残りの人生で腫瘍が再発する事はないだろう。


結局、手術は12時間以上かかり、夜中に終了した。

参加した術者は3人、レジデントに至っては5〜6人になるだろうか。

患者は翌朝無事に目覚めて、特に合併症もみられない。


家族はオレを神様のようにあがめた。

が、腫瘍摘出率はオレが1割、若手スタッフが3割、中堅スタッフが6割といったところだろう。

神様という称号は若手スタッフに、そして中堅スタッフに譲ろう。


でも、大切な事は、患者に後遺症を出さずに腫瘍摘出という目的を達することだ。

どんな狡猾な手を使っても病気に勝つ、というオレのポリシーはるがない。


ミッション達成ための作戦を立て、あらゆるリソースを投入して完遂かんすいしたオレも少しはめられていいんじゃないかな。


(「作戦勝ちした男」シリーズ、完)

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