第473話 作戦勝ちした男 1

その腫瘍は見るからに大きなものだった。

「治療リスクと年齢から考えると手術しない方が得策だと思います」と極楽病院ごくらくびょういんで言われたのだとか。


あきらめきれない家族にすがりつかれたオレは困ってしまった。

確かに極楽病院の言うことは正しい、というか妥当だ。

80歳代という年齢、後頭蓋窩こうずがいかにある直径50ミリの腫瘍、すでに水頭症も出ている。

どう考えたって勝ち目がない。


「腫瘍を取ったら命まで取ってしまうかもしれませんよ」


そうげると、家族に泣きつかれた。


「このまま何もできずに手をこまねいているというのが耐え難いのです」


じょうに流されてはならん、と思いつつも口が勝手に動いてしまった。


「分かりました、やってみましょう」

「先生、お願いします!」


調子のいい事を言ってしまったものの、どうすんだべ?

極楽病院はこれ幸いとばかりヘロヘロの患者を転送してきた。


こうなったらオレも腹をくくるしかない。

こと手術に関しては、いや診療に関してはオレの辞書にフェアプレーなどという言葉はない。

どんな卑怯な手を使っても病気に勝てばそれでいい。

だからありったけのリソースを使う、というのがオレの作戦だ。


まず、血管内治療で腫瘍への栄養血管を塞栓そくせんする。

こうすれば腫瘍摘出をするときの出血量を減らすことができる。


次に水頭症に対する脳室穿刺だ。

技術的に難しいが体位を変える必要のない後角穿刺こうかくせんしを選択する。

普通は特定の部位から鼻根部ナジオンを狙って穿刺するが、お作法を守っている余裕はない。

ここから穿刺したら垂直かつ最短距離で後角に達するという部位をあらかじめ3次元画像で計算しておく。

今回でいえば外後頭隆起イニオンから頭側に6センチ、外側に6センチ。

この部位から穿刺すれば、目を閉じていても後角に当たるはず。

もちろん本当に目を閉じてやったら、それはただのアホウだ。


そして開頭腫瘍摘出術。

おそらく8時間はかかるだろう。

12時間かかっても不思議ではない。


この長丁場をオレとレジデントの2人だけでやるのは無茶だ。

だから、思いつく限りの人間に声をかけて応援を頼んだ。

野球でいうなら完投をねらうのではなく、先発、中継ぎ、抑えの継投作戦だ。



いざ本番。


後角穿刺と開頭はレジデント主体で行う。

その間、オレは体力温存のために別室で休憩だ。

頃合ころあいを見て手術室に向かう。


ちょうどいい具合に開頭が終わりかかっている。

硬膜を切ると、案に相違して脳がかぶっており、腫瘍はほんのごく一部が見えるに過ぎない。


このような腫瘍をどう摘出するか、読者に分かりやすく説明しよう。

腫瘍をミカンと考え、これが粘土質の地面に埋まっているとする。

ミカンは3分の1ほど顔を出しているが大部分は粘土の下にあって見えない。

地面を崩さずにこのミカンを取ってしまう、というのがオレたちに課せられたミッションだ。

ここでいう粘土というのは脳であり、これを傷つけることは許されない。


オレが家族に説明したのはこうだ。


一部見えているミカンの皮をとり、中の房を順に砕いて吸引除去する。

そして全ての房を取り去ったら、皮が残るはず。

フニャフニャになった皮を簡単に取れそうなら少しずつ切除して取る。

もし神経や血管が皮にからみついていたら危険なので無理に取らない。


説明が良かったのか、家族たちの頭の中に腫瘍摘出がビジュアルに想像できたみたいだ。

オレの「みかんの皮」作戦に全面的に賛同してくれた。


で、実際の手術での場面に戻る。


顕微鏡マイクロを使って腫瘍と脳の剥離はくりにかかった時に想定外の事態に遭遇した。

脳と腫瘍の間に何枚かの膜があったのだ。

もはや、どれが正常組織で、どれが腫瘍被膜しゅようひまくなのか区別がつかない。

言い換えれば、どの膜とどの膜の間で剥離すればいいのか、その見極めが難しいのだ。


(以下、次話に続く)

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