第466話 反省ノートを書く男

 80歳を越えてなお現役術者の福島孝徳ふくしまたかのり先生は「神の手」と呼ばれている。

 手術後どんなに疲れていても自らが行った手術の絵を描いてから寝るそうだ。


 福島先生には到底およばないが、オレも手術の後に反省ノートを書いている。

 オレの場合は絵ではなく、字を使っているのだけど。


 手術というのも毎回うまく行くわけではない。

 時には行き詰ってしまい、他の人に代わってもらうこともある。

 そんな時は敗北感とともに、この仕事をめてしまいたいと思う。


 福島先生は絵を描いてから寝るそうだが、オレは翌朝に起きてから字を書く。

 書くということは思考が明確になるとともに、気持ちの整理にもなる。

 手術中は何故うまく行かないのかがよく分からない。

 理由がはっきりしないまま予定終了時間を1時間も2時間もオーバーする。


 ところが、反省ノートを書いているうちに行き詰った原因が見えてくる。

  剥離面はくりめんにベンシーツを挿入しておくべきだった

  腫瘍のサイズを感覚的につかめていなかった

  吻合用ふんごうようの糸をもう少し短く切っておくべきだった

  硬膜外の出血が術野に入ってきて視野の妨げになった

 などなど、有限の要素に分解できる。


 手術が行き詰まるのは複数の原因がからまり合っているからだ。

 バラバラにしてしまえば、個別の要素に対する解決の道が見えてくる。


 辞めたくなっていた気持ちが、文章にする事によって少しは回復する。

 おそらく福島先生といえども挫折感を1度も味わうことなくキャリアを積み重ねたわけではなかろう。


 誰よりも先に進んだ者というのは、誰よりも多くの挫折感を味わった者なのかもしれない。


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