第446話 ファイルを失くした男

オレは住んでいるマンションの自治会役員をしてきた。

年度が変わったので役員が新しくなる。

これまで1年間やってきた仕事を次年度の担当者に引き継がねばならない。


昨年度の引き継ぎ書を見ると渡すべきものはUSBとファイルだ。

USBにはこれまで何年間かの議事録、掲示、回覧などの文書がワードやエクセルで入っている。


が、ファイルってのは何だ?

USBの方はずっと使ってきたが、ファイルは全く使っていなかった。

だから、そんなものを引き継いだのかどうかすら記憶にない。


が、昨年の引き継ぎ書にはある。

だから家の何処どこかにあるのだろうが、何処にあるのだろうか?

もうUSBだけ渡し、「ファイルは見当たらない」という事で謝るしか無いのかもしれない。



考えてみれば、最近になって物をくすことが多くなった。

そればかりか人の名前が出て来ない。

昨日はたまたま先代の副院長に出くわして世間話をしたが、この人の名前が出てこなかった。


このような症状は外来で良く患者に訴えられる。

いつも「大丈夫、大丈夫」と答えていた。

が、ついに自分の番になってしまったのか。


多くの患者は、自分が認知症になったのではないか、と心配して訴えてくる。

が、言われて思い出すようなら認知症ではなく、単なる想起障害だ。

もし本当に認知症だったら、言われても思い出さない。


たとえば失くした財布が出て来たときに「そういえばあの時、ここに置いたのだった」と思うのが想起障害。

「自分の知らないうちに誰かがここに置いたに違いない」と思うのが認知症だ。


その意味では自分が認知症になっているとは思わない。


が、頭の働きが劣化してきたことはいなめない。


年を取るほど雑事が増え、憶えておくべき事も増える。

その一方で、記憶力が落ち、気力・体力も落ちる。


その結果、何でも失くし、何でも忘れる。

自分が日々行うべき事すら把握出来ていない。



で、これをどうやって解決すべきなのだろうか?

医師としての立場より、患者としての立場で考えてみよう。


数独とか脳トレで頭を鍛えて解決しようとするのは間違っていると思う。


というのも、人の脳の働きの種類は色々ある。

その中のどの部分が特に劣化してきているのかは個人によって違う。

そいつを把握して、効率的に対策を立てるべきだ。


たとえば、人の名前を思い出さないという症状への対策。

オレ自身について言えば、患者の名前とか名刺交換した人の名前とかを忘れてしまったりする。


そこで、患者リストをエクセルで作ったり、名刺アプリを使ったりすることにした。

結局、入力したのは患者リストに500人ほど、名刺アプリに1000人ほどだ。

これらを時々チラッと見れば、名前を忘れる頻度は減るに違いない。



もう1つ、物を失くすことへの対策が必要だ。

これに対しては物を減らす、置き場所を決める、という2つが効果的だ。

患者にはいつもそうアドバイスしている。

が、物を捨てることに抵抗する人は意外に多い。

それは個人のポリシーなので医師が踏み込むことはできない。


あと、こまめに写真を撮るのもいいと思う。

スマホを使えば撮るのも後で確認するのも楽だ。

提出書類なんかも、写真を撮ってから出すようになった。

後で確認するのが便利なので重宝している。


ということで、自分自身を実験台にして色々試してきた。

そして、うまく行った方法を患者に勧めている。

その意味では年を取るのも悪くないかもしれない。


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