第439話 日本代表と一体化する男

 医局のパソコンのハードディスクに入っている手術動画。

 オレは自分のおこなった分だけコピーした。

 そして編集する。


 今回のものは未破裂脳動脈瘤クリッピング術だ。


 対象は80歳女性の6ミリのサイズの中大脳動脈瘤。

 先日、他院から紹介されてきた。

 診察室で画像を見ながら思わずつぶやく。


「80歳……もう、いいか」


 ついそう言ってしまったら患者に反論された。


「『もういいか』って、どういう意味?」

「いや、日本人女性の平均寿命ってのは87歳くらいでしょ。だから、あと7年くらいはもつかなと思って」

「駄目よ。私は100歳まで生きるんだから」


 年齢に不足はありませんという人が多い中、そんなに長生きして何をしようってわけ?


「最近、飲食店を始めてね。あと20年は頑張りたいのよ」

「な、なるほど」

「前の病院の先生にも『まあ、いいか』って言われたけど、ちっとも良くないわ」


 そこまで言われたのなら上等だ、やってやろうじゃないか。

 やるなら開頭して脳動脈瘤クリッピング術になる。


 高齢者の場合、動脈硬化で脳梗塞を起こすリスクがある一方、脳の萎縮でアプローチはやり易い。

 今回は中大脳動脈分岐部からの2本の枝に騎乗する形で動脈瘤が発生している。

 このような形の場合、1本のクリップで閉鎖するのは難しく、2本使うことが多い。

 しかし、オレはバイヨネット形のクリップの膝を使えば1本で閉鎖できるのではないかと以前から思っていた。


 予想通り動脈硬化は認められたものの、クリップを甘くかけることによって分枝の狭窄を避けつつ動脈瘤の閉鎖を行った。

 ICGを使って血流を確認する。


"Elegant surgery!エレガントな手術だ"


 たまたま見学していたアメリカ人脳外科医におめいただいた。



 さあ、記憶が新しいうちに手術動画の編集を行おう。


 今回、背景に入れる音楽は前から「クエスチョン・オブ・オナー」に決めていた。

 いわずと知れたワールドカップの日本代表戦で使われている曲だ。

 戦いにのぞむ者としてこれ以上に盛り上がる曲はない。


 曲の時間は5分18秒。

 動画を切り貼りして、この長さにぴったりおさめなくてはならない。

 1時間ほどかかってイメージ通りの編集動画を作った。


 決意、開始、乱戦、死闘、そして勝利。


 ん?


 今回は手術の全過程がほぼ予定通りにいったので乱戦も死闘もなかった。

 が、まあそこは気分の問題だ。


 早速、妻をパソコンの前に座らせる。

 後ろから肩を揉みながら編集した手術動画を鑑賞してもらう。


「なかなかいいじゃない、音楽も合っているし。これはサッカーの曲?」

「そうそう、それ!」


 その後、自分で2~3回ほど見る。


 そしてふと思いついた。

 もしかしてサッカーの実況中継が入っている方がいいかもしれないぞ。


堂安どうあんまたいで、縦に行って、中に、あおがいるぞ、シュートォォォォッ!」、そして観客の大歓声。


 これだよ、これ!


 再びビデオ編集を行い、「クエスチョン・オブ・オナー」にサッカー実況中継の音声をかぶせる。


 もうね、日本代表と一体化して泣いちまったよ、オレ。


 でも、阿呆あほうすぎてこんなもの、誰にも見せられない。

 自分だけの秘密コレクションだ。


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