第438話 物語を続ける女

 この「診察室のトホホホホ」の中でも村上春樹の小説には言及している。

 第413話の「ドライブ・マイ・カー」と「風の歌を聴け」、第414話の「女のいない男たち」だ。


「ドライブ・マイ・カー」と「女のいない男たち」の同じ短編集の中に「シェエラザード」というのがある。

 今回は彼女について語りたい。


 そもそも村上春樹が彼女の名前を冠した小説を書いているのに驚く。

 言うまでもなくシェエラザードというのは「千夜一夜物語」の登場人物だ。

 というか、その語り手と言った方がいい。


 シェエラザードは毎夜、シャフリヤール王のところに行っては興味深い話を聞かせる。

 いよいよ話がクライマックスに達したところで、「続きはまた明日」と言って王のもとを去る。


 この王様には町から生娘きむすめを連れてこさせ、一夜をともにした翌朝に首をねるという悪習があった。

 が、話の続きを聞きたいがためにシェエラザードだけは生かしておいた。

そ してついにシェエラザードの話が一千を超えたときに、王様はその悪習をやめたのだ。


 千夜一夜物語の中には「アラジンと魔法のランプ」「アリババと40人の盗賊」「シンドバッドの冒険」など、誰でも知っている話が含まれているが、それらは後で付け足されたものだというのが定説のようだ。


 が、千夜一夜物語の成り立ちには示唆しさに富むことが多い。


 まず、1000ものネタを準備しなくてはならない。

 人間、自分の人生を洗いざらい語ったところで3日間が精々なのだそうだ。

 ある高名な作家がそういう趣旨の事を書いていた。

 だから、1000というのは途方もない数字だ。


 そして王様の興味をきつけるために毎夜クライマックスでとめなくてはならない。

「なんだかもう一つだなあ」と王様に思われてしまったら首をねられてしまう。

 だから、一連の話でありつつも「次はどうなるんだ!」と思わせることが大切だ。

 それが実現してこそ自らの命をつなぐことができる。


 現代で言えば新聞小説とか週刊漫画の連載がこれにあたるだろうか。


 シェエラザードの巧妙なところは王様の部屋に妹のドニアザードを連れていった事だ。

 いかに卓越した語り手のシェエラザードといえども自分の頭の中だけで物語をつむぐことには限界がある。

 ここで巧みに合いの手を入れて盛り上げてくれるドニアザードの存在が欠かせない。


 かくして妹の協力によりシェエラザードは一千夜を完走することができた。


 シェエラザードは架空の人物だったとされる。

 が、オレは実在したと信じたい。

 一千もの話を毎日語ることができた人間がいた、というのは作家を名乗る者にとって励みになるからだ。

 だから「シェエラザード」というタイトルの短編小説を書いた村上春樹も、心のどこかに彼女に対するリスペクトがあったのではないかと思う。


 最後に一言。


 実は小学生の頃、オレの家には「千夜一夜物語 全4巻」があった。

 読書少年だったオレは何度も読破を試みたが、途中で挫折した。

 というのも、物語の中に物語があり、その中から別の物語が登場するという複雑なストーリーだったからだ。

 このような構造を枠物語とか額縁小説と呼ぶのだそうだ。


 おそらくリアルタイムの聞き手である王様やドニアザードにとっては違和感がなかったのだろう。

 でも、物語が完結してから読むことになった小学生にはついて行けない世界だった。


 大人になった今、もう1度、あの頃に挫折した全4巻に挑戦したいと思う。

 できれば、小学生にも面白いと思ってもらえるように書き直したいが、著作権とか何とか色々と難しいハードルがあるんだろうな。


 それとも YouTube で語ってみるか、「中田敦彦のYouTube大学」みたいに。


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