第437話 あらゆる主訴に苦しむ男

 総合診療科そうしん外来。


 そこはあらゆる主訴を持った患者のやってくる場所だ。

 対応するのは総合診療医の皮をかぶった脳外科医のオレ。

 得体の知れない主訴に知ったかぶりをして答える立場だ。


 ただ、このような主訴は誰にとってもよく分からない。

 だから総合診療医の皮を被っているのが眼科医だろうが皮膚科医だろうが同じなのかもしれない。


 さて、ある日の総合診療外来。


 再診患者に混ざって初診患者が数名いた。

 その主訴を患者ごとに順に並べてみる。

  手の先が赤い

  咳がとまらない

  息切れと動悸どうきがする

  歩き方がおかしい

  朝起きれない

  毎月、熱が出る

 確かに何科に行くべきか分からない訴えばかりだ。


 手の先が赤いのは40代女性。

 立った状態で両手を下に下げていると次第に手首から先が赤くなる。

 その状態で左手だけ上にあげると、そちらは白くなる。

 そして両手を並べてみると右手は赤、左手は白。

 はっきりと左右で色が違っている。

 何か悪い病気が隠れているのではないか、と心配して来院した。


 痛くもかゆくもないし、指が動かなくなるわけでもないそうだ。

 試しにオレも診察室の椅子から立って、自分で試してみた。

 すると見事に右手は赤、左手は白になった。

 つまり誰でも同じ事をすれば同じ事が起こるということだ。

「そんなことを心配するのは時間の無駄遣いだ!」ということをできるだけ丁寧に説明して帰ってもらった。


 咳が止まらないのは30代の男性。

 喉の奥をのぞいてみると鼻汁が垂れているのが見える。

 これは後鼻漏こうびろうといって副鼻腔炎の鼻水が気管に入って咳が出ているのだ。

 だから耳鼻科に行くように言った。

 何か薬が欲しいというので抗菌薬と鎮咳薬ちんがいやくを出した。

 しかし、こういうタイプの咳に普通の鎮咳薬が効くのだろうか?

 興味あるところだけど、それ以上の追求はしないことにした。

 仮に咳が止まったとしてもどちらの薬が効いたのか分からないからだ。


 息切れと動悸がするのは30代の女性、妊娠30週だという。

 1ヶ月ほど前にコロナにかかった。

 発熱は4日ほどでおさまったが、体を動かすと息切れと動悸がする。

 徐々に回復してきたので3日前から出勤した。

 そうすると再び息切れと動悸が始まったとのこと。

「いくら体調が良くなっても出産するまで職場に行くな。この世に出産より大切な仕事は存在しない!」と出来るだけ丁寧な言葉で説明した。

 なんと、今かかっている産科医にも同じ事を言われたのだとか。

 そりゃそうだよな。


 歩き方がおかしくなったのは50代の男性。

 膠原病内科からの紹介だ。

 確かに歩いてもらうとゆっくりで、歩容ほようもおかしい。

 筋萎縮性側索硬化症ALSなどの神経変性疾患の初期症状だろうか?

 よくよく聴くと、2年ほど前に高所から転落して救命センターで手術されたそうだ。

 腰椎のレントゲンを撮影したら仙椎にボルトが2本刺さっている。

 ただ、腰椎自体はさほど変形しているようには見えない。

 そこで座っている患者の後ろに回って両脇に手を入れて上に引っ張ってみた。

 再び歩いてもらうと今度はスタスタ歩ける。

 脊柱管狭窄症か椎間板ヘルニアだろう。

 年齢からするとどちらもあり得る。

 興味深いが脊椎MRI撮影までやると外来で焦げ付いてしまう。

 だから膠原病内科医に「腰椎疾患のようですが、手術療法と保存的治療のどちらを選択するかの判断は専門家に委ねたいと思います」と返事した。

 家の近所の整形外科に通って腰椎牽引をするのが妥当かもしれない。

 1番いいのは自宅で腰を引っ張ることで、オレの患者の中には家の鴨居にぶら下がって調子良くやっている人もいる。


 朝起きれず学校を休みがちなのは女子高生。

 2歳下の弟が起立性調節障害で学校に行けていない。

「この子も同じ病気でしょうか、でもちょっと症状が違う気がするんですけど」と母親は言う。

 女子高生の1日を確認してみると、昼頃に登校して、夕方からは部活動、そのまま塾にいって帰宅は午後10時なのだそうだ。

 夕食をった後に寝床に就くけど、スマホで YouTube なんか見てしまって寝るのは午前2時とか3時とか。


 そりゃあ誰でも起きれんわ!

 まず、大学受験が終わるまで YouTube を見るのをやめろ。

 次に塾をめろ、行かなくても成績は落ちない。

 幸い、部活動はもうすぐ引退だそうだ。

 YouTbe を見るのをやめて、塾をやめて、部活動を引退して、それでも朝起きれなかったらまた外来に来てくれ。

 できるだけ丁寧に親子に説明した。

 あとは実行できるか否かの問題だ。


 毎月熱が出るのは30代の男性。

 いつも喉が痛くなって40度近い熱が5日ほど続き、それから平熱に戻る。

 毎月というのは言い過ぎかもしれない、1~2ヶ月に1回ほどだ。

 他院で家族性地中海熱かも、ということでコルヒチン・チャレンジがされていた。

 が、男性は出された薬をのんでいなかったので、何も分からない。

 口の中を覗いてみると片方の扁桃が大きく腫れている。

「扁桃摘出術が必要かもしれません」と耳鼻科に紹介した。


 本来、オレの総診外来は午前中だけのはずだ。

 でもこんな調子では終わるはずもない。

 午後1時に次の医師が来て診察室を使うので、別の診察室にうつって続けた。

 ようやく午後3時頃に最後の患者の診察を終えた。


 終わらない外来はない、ということを実感しつつ、オレは外来の奥にあるソファの上に倒れて眠った。

 院内PHSが鳴らないことを祈りつつ……


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