第432話 黒焦げになった男

「そりゃアカンやろ。ウチで死なせたれ!」


受話器の向こうから院長の声が聞こえてきた。

院長に電話をかけて相談したのは当直の群馬先生だ。


効先こうせん病院の救急外来に担ぎ込まれたのは全身黒焦くろこげの男。

なんでも5万ボルトの架線に触れて感電したのだとか。

酔っぱらってJRの鉄柱によじ登っていたのだそうだ。


高圧で直撃されるとこうなるのか、と思うくらい真っ黒焦げだった。

当直医の群馬先生に頼まれて医局にいた4人の医師が応援に向かう。

ただ、問題はオレを含めて応援の全員が脳外科医だということだ。

熱傷の治療なんか専門でも何でもない。


とはいえ、全身黒焦げだろうが瀕死の患者の初期治療は決まっている。

気道確保、静脈ルート確保、尿道バルーン留置。

そして、ありったけの点滴をする。


点滴するとどんどん体がふくらんでしまう。

だから入れるべきチューブ類は最初に入れておく。

さもなくばあとで入れることができない。


黒焦げではあったが、彫り物を背負っているのが分かる。

色々な意味でややこしい患者のようだ。


オレたちは手分けして人工呼吸器につないだり点滴を入れたりした。

ICUに収容して一段落したところで群馬先生が院長に連絡したのだ。


「背中に墨が入っとるんですわ。大学病院に送りましょうか?」


そう尋ねたら冒頭の「ウチで死なせたれ」発言があったわけだ。

DPC導入以前の出来高時代できだかじだいの話だから、治療すればするほど病院は潤う。

だからICUで濃厚治療が必要な患者は経営的には有難い存在だといえる。


後で怖い人たちとめるかもしれないが、取り敢えずは経営優先。

いつも効先こうせん病院の方針は明確だ。


この患者、数日後に「ひょっとして助かるかもしれないから」ということで大学病院に転院となった。

大学病院では救命目的に四肢切断されたそうだ。

最終的に助かったのか否か、そこまでは聞いていない。



今でもその時の苦労が話題にのぼることがある。


「あの時は大変でしたね。全身熱傷の患者を脳外科医らが治療するというのも荷が重いですよ」


オレがそういうと医局にいる皆が賛同してくれた。


「まともな医者っていったら、内科の群馬先生くらいで……」


そう言いかけたら、皆の動きが止まった。


「群馬先生って、あの当直に来ている群馬先生のこと?」

「そうですよ」

「彼、内科じゃなくて病理なんだけど」

「ええーっ、そんな馬鹿な!」


病理医は解剖したり手術での切除標本を顕微鏡で見たりするのが仕事だ。

決して生身の人間に触れることはない。


そんな人が救急外来の当直をやっていいのか?

ましてや刺青入いれずみいり5万ボルトの治療なんか有り得ん!


でも効先こうせん病院なら有ってもおかしくはない。

そういう病院だ、あそこは。


かくして、「ウチで死なせたれ!」は、オレの出会った名言の1つになってしまった。



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