第429話 肺炎をもらいかけた男

 前回は救命センターでの停電の話をした。

 今回は他の病院でオレが経験した停電の話をしたい。


 初めての停電は大学病院で研修医をしていたときに起こった。


「ドーン!」という音があったかどうかは記憶にない。

 突然、病棟が真っ暗になり、全てがとまった。

 照明もモニターも何もかもが。


 オレは別の内科病棟にいたため、あまり当事者意識を持てなかった。

 内科の研修医たちがあたふたしているのを「大変だなあ」と見物していただけだった。

 しばらくして停電は復旧して照明もモニターも復活した。

 真夏に冷房を効かせていた時に電気を食うMRIまで稼働させていたことが原因だと聞いた。

 元々、古い病院の地下に後で無理矢理MRIを入れたものだから電気の許容量が慢性的に不足していたのだ。

 MRIも最初は夜だけ稼働させていたのが、どんどんニーズが増えて昼間にも稼働するようになった事が停電の原因とされた。

 とはいえ、皆が電気を使い過ぎたからブレーカーが落ちたわけで、特定の誰かを犯人扱いするのは間違っている。

 ともあれ、復旧したから目出度めでた目出度めでたしとなった。


 が、脳外科病棟に戻ったオレは現実に引き戻された。

 内科病棟でオレがぼんやりしている間、脳外科病棟では地獄絵図が繰り広げられていたのだ。


 顔見知りの外科医に声をかけられた。

 彼は汗だくだった。


「先生の患者さんでレスピレーターのついている〇〇さん。ちょうど我々が回診している時に停電になってレスピレーターが止まってしまったんですよ」

「ええっ!」

「仕方ないのでマウス・トゥー・チューブで人工呼吸したんですけど」


 それで汗だくだったのか。

 ちなみにマウス・トゥー・チューブとは患者の挿管チューブを自分の口でくわえて人工呼吸させることを言う。

 アンビュー・バッグが到着するまでの代替手段だ。


「まさかあの患者さん、肺炎なんか持っていないですよね?」

「いや、重症肺炎になったので人工呼吸しているんですよ」

「ギョエーッ! 肺炎もらっちまったかも」


 結果的には大丈夫だったはず。

 というのも、この先生、今ではどっかの大学の教授をしているからだ。


 その頃の古い大学病院は建て増しを重ねて無停電設備なんか行き届いていなかったんじゃないかと思う。



 次の停電体験は10年ほど前の事だったと思う。


 オレは医療安全管理者養成講習会の講師をやっていた。

 ちょうどグループワークの説明をしていた時。

 ふと窓の外、向こう側にある病院の建物を見ると何だか病室が暗い。


「停電だ!」


 師長がメインの受講生たちは浮足立つ。

 咄嗟とっさにオレは決断した。


「自分の病棟が心配な人は戻って確認してください!」


 患者が生きる死ぬの状態にあるのに講習会なんかやっている場合じゃない。


「医療安全実践編ということで確認作業も講習会の一部と見なします!」


 受講生たちがバラバラッと病棟に向かって走って行った。

 オレも脳外科病棟その他の状態を確認しに戻る。


 案の定、血管撮影室にトラブルが発生していた。

 血管撮影装置が再起動しないのだ。

 そもそも自家発電が作動していない。


 後で判明したところによると、1週間ほど前に自家発電の点検が行われたそうだ。

 ところが、点検後の設定を業者が間違えてしまっていた。

 通常は停電から30秒で自動的に自家発電が作動するところ、全く作動しない設定にされていた。

 誰かが自家発電を手動で作動させてようやく電力が供給され始めた。

これで48時間程度は電気がもつ。



 停電が一時的にでも解決した事により、医療安全管理者養成講習会に皆が戻ってきた。

 それぞれの部署や病棟の状況をレポートしてもらう。


「『非常用電源コンセントを使って病室でテレビを見ている患者さんがいたんですけど、お金を払っているからいいんですよね』という質問をスタッフにされて、思わず『今すぐコンセントを引っこ抜いてきなさい!』と怒鳴ってしまいました」


 この師長の言いたいことはよく分かる。

 貴重な自家発電の電気を使ってテレビを見るなんぞ言語道断。

 命を守る以外の事に電気を使ってはならないのは当然だ。



 先の見えない不安な状態であったが、停電そのものは1時間ほどで復旧した。

 停電の原因というのは、火災か何かによる変電所の不具合だった。


 電力会社からの供給系統というのは複雑怪奇で、当院の病棟の他に役所の一部でも停電が起こり、知事が激怒したらしい。

 なぜか同じ敷地内にあった講習会の会場は別の系統だったので停電は起こらなかった。



 それにしても何かと大混乱になりがちな停電騒ぎ。

 2度と経験したくないが、一方で心の準備をしておく事も必要だと思う。

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