第424話 接客業の女

きたいこと沢山あるから。時間はまだあるんでしょう?」

 オレに背中を向けて顔の手入れをしている彼女と鏡の中で目が合った。


 あらぬ誤解を与えそうな情景だ。

 が、実際は病室だった。


 何日か前に交通事故で搬入された若い女性患者。

 救急の主治医から彼女の往診を依頼されていたのだ。


「えっと、20歳でしたか?」

「22歳よ」

「学生さん? それとも働いているんですかね」

「キャバ嬢やってるの」


 市内で1番の繁華街にあるキャバクラらしいが、そもそも頭の中に絵が浮かんでこない。

 製薬会社のプロパーの接待が盛んだったのは、遥かに昔の話だ。


 のキャバ嬢と話をするのも稀有けうな体験になる。


 普通の患者だと、まず「先生、立っていないで座ってください」から始まる。

 でも、彼女はオレと話をしながらずっと顔に乳液を塗っていた。

 それと、最初からタメ口だ。


 こういうのは失礼でも何でもない。


 オレがやっているのも一種の客商売だから良くわかる。

 彼女は無意識にオレとの間合いを詰めにかかっているのだ。

 それに対してオレは一定の心理的距離を保とうと努力しているわけ。

 防戦一方になってしまっているけど。


「ということは、働いているのは夜ってこと?」

「そうね。夕方に起きて、同伴があったら午後7時くらいに行くの」

「終わるのは夜中になるのかな」

「アフターがあったら朝の4時頃ね」


 普通の人と生活リズムが随分ズレている。


「じゃあ、いつもなら午前中は寝ているわけか」

「そうよ」

「実は朝の9時頃にここに来たんだけど」

「あら、知らなかったわ!」

「よく寝ていましたよ。すごく幸せそうな顔をして」

「アハハ、自分で見れたら良かったのに」



 後で彼女の店を検索してみた。

 いかにも高そうな店だ、オレみたいな貧乏勤務医の行くところではない。


 ホームページに掲載されているキャストの中に彼女の顔もあった。

 かなりの売れっ子ってわけだ。

 驚いた事に本名で出ている。


 そういやオレが彼女に職場復帰の話をしたとき、こんなやりとりがあった。


「ちゃんと仕事に戻れるかどうか、そいつが問題になってくるんですよ」

「まだ籍があるか分かんないけどね」

「いや、そういう話じゃなくて」

「えっ、何?」

「頭を打った人は怒りっぽくなったりしがちなんで」

「そういえば、友達に言われてるの、すぐ怒るようになったって」

「接客業では致命的でしょ、そういうの」

「私、性格が変わったかな?」

「前を知らないから何とも言えないけど」

「そうか……そうよね」


 医師としての立場で言えば接客業の患者は問診もんしんが楽だ。

 自分の頭の中の考えを言葉にするのが上手うまい。

 そして、こちらの質問に対する答えが芯をっている。


 ともあれ、うっかりこの嬢の店に行ったりなんかしたら「給料丸ごとげの刑」にされてしまうんだろうな。

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