第417話 自分で自分を誉める男

先日、オレは偉大な事をした。

だからちょっと聞いて欲しい。


その日の夕方、オレは病院のトイレの個室に座っていた。

その時、院内PHSが鳴ったわけ。

普段、個室で用を足している時にはPHSに出ないことにしている。

が、発信元が細菌検査室と表示されていたら話は別だ。


「先生にお伝えしていいのか分からないんですけど、依頼医に電話がつながらなくて」


泣きそうな声の女性だ。


「分かりました。どのような事で?」

「今朝、救急外来から提出された〇田〇子さんの血液培養4本中1本から腸内細菌様のグラム陰性桿菌いんせいかんきんが検出されたんです」


〇田〇子さんと言われても誰の事やら分からない。

だからオレは「ちょっと端末の前まで移動します」と言ったわけ。

そうしたら「ありがとうございます!」と随分、感謝された。


あ、ここで言う端末ってのは電子カルテの端末の事ね。



で、〇田〇子さんのID番号を打ち込んでみると事の一部始終が出て来た。

今朝未明に救急外来きゅうがいにやって来て、一悶着ひともんちゃくのあった患者だ。


体調不良で受診して、胸部レントゲンや心電図、採血など各種検査が行われた。血液培養を採っているから発熱もあったんだろう。


血液検査の結果をみるとトロポニンTがやや高い。

心筋梗塞などの心疾患が懸念される。

救急外来担当の研修医は循環器内科医に相談した。

超音波検査では特に心臓の壁運動に問題はない。

その結果、研修医は「心配する必要はなく、帰宅可能だ」と説明した。


それで開業医である息子が連れて帰ろうとしたわけ。

ところが尿失禁しているのに気づいた。


「こんな状態では連れて帰れない、入院が必要だ」


息子は怒ったものの、担当の研修医は入院不要だと譲らない。

結局、息子は他の救急病院を探して、そちらに受け入れてもらった。


オレが細菌検査室から電話を受けた時には担当の研修医2人は夜勤明けで帰宅してしまっていた。

だから細菌検査室が連絡しようにも不在だったわけだ。

それで、オレのところに電話がかかってきた。


もし入院したのがウチの病院だったら、検査結果を主治医に伝えてそれで終わりだ。

でも、他の病院に入院している場合、どうしたらいいわけ? 

第一、オレは全く関係ないじゃん!



幸い、心臓の超音波検査をした循環器内科医は帰宅していなかった。

アドバイスを求めるべくオレは彼に電話した。


「血液培養でグラム陰性桿菌が検出されたみたいですよ」


そう言うと、電話の向こうから息をのむ気配が伝わってきた。

でも、彼はあくまでも関わりたくないようだった。


「入院先の病院に電話したら主治医に繋いでくれるのではないでしょうか?」


そんな返事が返ってきた。



血液培養で細菌が検出されたら即座にアクションが必要だ。

オレは自分で入院先の病院に電話することにした。

電話交換手に「カクカクシカジカで〇田〇子さんの主治医につないで下さい」と頼む。


しばらくして電話に出た主治医は偶然にも1ヶ月前までウチの病院で研修医をしていた男だ。


彼が言うには、冠動脈造影では特に異常はなかったとのこと。

つまり心臓には問題なし。

でも、実は胆道系感染症ではないか、と疑っているのだそうだ。


胆道系感染症の起因菌で1番多いのは大腸菌。

代表的なグラム陰性桿菌だ。

だから血液培養で検出された菌とも符合する。


ということは、大腸菌による胆道系感染症で発熱・失禁し、当院の救急外来を受診したという事で、話がピッタリ合う。

たまたま少し高かったトロポニンTに目を奪われてしまって担当医の判断が狂ってしまった。

結局は患者の息子の主張が正しかった事になる。


オレは主治医に「菌が同定されたり、抗菌薬感受性の結果が出たら、順次ファックスするから」と言った。

すると彼は「それには及びません」と返してきた。


でも、そういう情報は物凄く大切だ。

彼はちょっと思い直したのか「まだ抗菌薬は使っていないのですが、こちらでも血液培養をした方がいいのでしょうか?」と尋ねてきた。

そこで、オレは「当然、した方がいいと思うよ」と返事した。

そして「とにかく検査結果が出たら先生宛に送るから」と言って電話を切った。


もちろん一連のやり取りはカルテに書いておく。

そして救急外来で担当した研修医2人と関わった循環器内科医には簡単な経緯をメールで送り「詳細はカルテを読んでください」と結んだ。


関わった3人には、一連の経過を良く振り返って今後の自分たちの診療に役立ててもらうかてにして欲しい。


それにしても、全く関わりのないオレが偶々たまたま受けた電話でここまでの事をしたのだから、自分で自分を誉めておこう。

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