第416話 自分に甘く他人に厳しい男 2

なんとまあ、「第327話 自分に甘く他人に厳しい男」に、期せずして続編ができてしまった。


まずは簡単に前回のおさらいをしておく。


高血圧+副腎皮質機能低下症でオレの総診外来に通院している初老女性。

同じ日に内分泌内科医が外来を始めたので、これ幸いとコンサルを入れた。

さすがに本職、ステロイドの投与法をうまい具合に調整してくれた。


だが同じ日に2つの診察室を行ったり来たりするとどうしても時間がかかる。

それで、この女性と亭主に散々、怒られる羽目になった。

普段ならギャグをかまして対応するところ、どうみても喧嘩を売られている口調にオレも反論した。

もちろん怒鳴り返したりしない、淡々と遅くなった理由を述べたに過ぎない。


「色々な訴えの人が来るので、1人1人キチンと対応していたらどうしても時間がかかってしまうんですよ」


そしてこうも付け加えた。


「時間がかかりそうなら先に食事を済ませるとか、ポケットベルをもらっておくとか、色々な方法を御存知だと思いますけど」


そう言ったら夫婦の怒りに油を注いだみたいだ。

さらに怒鳴られた。



ところが、それから2ヶ月ほどして、この亭主の方が救急搬入されたのだ。

酔っぱらった挙句、喧嘩して殴られたとのこと。

道路で後頭部を強打した。

加害者は逃走中なのだそうだ。


「先生、お願いします!」


救急外来で奥さんが泣きながらすがってくる。

患者本人はストレッチャーの上でオレに頭を下げてきた。


「この医者には絶対に診てもらわへん。死んでも嫌や!」


再びそう怒鳴られるなら、首尾一貫している。

が、いまだかつてそんな事を言った人は見たことがない。


オレは黙って頭部CTを確認した。

急性硬膜下血種と外傷性脳内血腫があるがさほど大きくはない。

現時点では手術の必要はないが、何か嫌なパターンだ。


案の定、徐々に患者の意識レベルは低下してきた。

再度撮影したCTでは血腫の数が増えサイズも大きくなっている。


そういう事もあろうかと手術室や麻酔科への根回しはしておいた。

すぐに気管挿管し、救急外来で髪の毛を刈った。

そのまま手術室になだれ込む。


麻酔科が鼠径部から中心ルートを取る間にこちらは頭を固定する。

左側の大開頭と血腫除去、おそらくは内減圧が必要だろう。


内減圧とは綺麗な言葉だが、実際には脳の一部を除去することになる。

それで元の機能を保つことができるかははなはだ疑問だ。

でも命を救うためには仕方ない。


この短時間で急激に血腫が増大しているということは血が止まらないということだ。

実際、あちこちから出血して、オレたちは苦戦した。


手術しながら1年目のレジデントに尋ねる。


「この人、命の助かる確率と社会復帰できる確率はどのくらいだと思う?」

「うーん、それぞれ7割と5割でしょうか」

「7割と5割か」


オレは一緒に手術をしていたスタッフの忙野ぼうの先生に尋ねた。


「先生はどう思う?」

「命が助かる確率が1割で、社会復帰できる可能性はゼロでしょう」


まるでオレの心の中を見透かしたような答えだ。


「そうなんですか!」


1年目レジデントが驚く。


実際のところ、絶望的な手術だ。


サージセル、サージフロー、ベリプラストと、あらゆる止血材料を用いた。

さらに血小板製剤と抗線溶剤のトランサミンを点滴で用いる。


そうそう。


この人には罵声を浴びせられた事があったんだ。

だからといって手術の手を抜いたりはしない。

ひたすら血腫を除去し、止血を繰り返す。


終われないかも、と心配していた手術も一段落つき閉頭できた。

手術室からCT室に向かう。


「今、CTを撮影しておかないと、もうチャンスはないだろうから」


そう言ったら、ビックリしてレジデントが振り向く。


「負け戦でも真実は知っておきたいしな」


彼にこの言葉の意味が通じただろうか。


術直後のCTでは反対側の脳にも巨大な血腫ができていた。

いわゆる Talk and Dieトーク・アンド・ダイ、「話して死ぬ」のパターンだ。


救急外来に搬入されたときから死ぬことを運命づけられていたわけだ。


「瞳孔は両側散大ですね。奥さんには僕から話しておきます」


忙野先生がそう言って立ち上がった。

これまで色々あったオレが説明するより初対面の彼が話す方がいいだろう。


「お手数だけど、よろしく」


オレの頭の中にあったのは患者夫婦に対する感情ではなく、手術手順の振り返りだけだった。






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