第407話 呂律の回らない男

ある日の事。


脳外科で外来診察をしていると院内PHSが鳴った。

顔見知りの職員からだ。


「先生、すみません。主人がおかしいんです」

「ん、どうしたの?」

「なんか呂律ろれつが回っていなくて、両足がしびれるって」


PHSを聴きながら考える。


呂律が回っていないということは脳疾患だ。

急に起こっているから脳卒中、つまり脳梗塞か脳出血。

脳のどの部位でもあり得る。

大脳でも小脳でも脳幹でも。


一方、両足が痺れるというのはそれと矛盾する。

大雑把には腰椎から頚椎までの脊髄疾患だ。

もし、脳疾患であれば左右どちらかの足だけに症状が出るはず。


「診察をお願いしたいんですが、何科に行ったらいいのでしょうか?」


脳梗塞なら神経内科、脳出血なら脳外科、脊髄病変なら整形外科になる。

が、てして素人を間にはさむと正しく情報が伝わらない。

本当に呂律が回っていなくて両足が痺れているのか?


とはいえ、何らかのアクションが必要だ。

こういった矛盾した訴えの時には……


「救急外来に来てくれる?」

「初診手続きをしてから行くのですか」

「いや、担当医に言っておくからじか救外きゅうがいに来て!」

「分かりました、電車で行きます」


おいおい、救急車かせいぜいタクシーだろ。

そう思ったが、電車で来れるという事はさほど重症でないということだ。

少しホッとする。


救外の担当者に電話した。


「お手数だけど職員の伊奈川恭子いながわきょうこさんの御主人をてあげてくれる?」

「どうしたんですか」

「朝から呂律が回っていなくて両足が痺れるわけ」

「呂律が回っていなくて両足が痺れる?」


医師なら誰でもそこに引っ掛かる。


「矛盾した話だから実際に診ないと分からないと思うよ」

「承知しました、お名前と生年月日は分かりますか?」

「イナガワミノルさん、昭和××年×月×日で」


後は救外に任せることになる。

それにしても何千人も職員がいると大変だ。

毎日のように誰かが体調不良になる。

本人か家族かは別として。

オレはいつも最優先で対応しているが、それにしても数が多い。


で、午後2時頃に地獄の外来が終わった。

最後の患者は2時間待ちだ。


でも、断じてオレが待たせたんじゃない。

話の長い患者が多すぎる。

3分以内にプレゼンが終わるように家で練習してきて欲しい。



そうそう救外きゅうがいの話だった。


脳外科の診察室で電カルを叩いてイナガワミノル氏の状況を確認する。

なんと入院していた、それも脳卒中集中治療室SCUに!


頭部MRIでは右大脳半球に小さな脳梗塞が2ヶ所みられる。

そして、両足痺れではなく、左半身の不全麻痺だった。


頚部内頚動脈由来の血栓か心原生塞栓か、悩ましいところ。

どちらもあり得るが、治療方針が根本的に違う。


ともあれ、即座に対応できて良かった。


救外の担当医には御礼を言っておこう。


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