第405話 泣き出した男(番外編)

「泣き出した男」シリーズは前回で完結した。


が、ちょっとだけ言及しておくべきことがある。

ミニトラックの事だ。


これは喀痰排出をしにくい人の気管に入れておく細いチューブだ。

気管挿管までする必要がないので、好んで使う内科医もいる。

が、オレ自身は使った事がない。

脳外科ではあまり躊躇ためらわずに気管切開してしまうからだ。


ミニトラックは皮膚から輪状甲状靭帯を穿刺して留置する。

だから上気道閉塞の緊急時にこれを使えば時間を稼ぐことができる。


問題は正しい位置を穿刺すること。

正中を外してしまうと大変な事になってしまうがそれだけではない。

上下の位置関係も大切だ。

人によっては喉仏のどぼとけを2つも3つも持っていることがある。


そのような時は上甲状切痕じょうこうじょうせっこんを確認すると良い。

こいつは甲状軟骨の上縁正中にありハート形に切れ込んでいる。

切痕を手掛かりにして甲状軟骨の位置さえ分かればしめたものだ。

その尾側にある輪状軟骨との間が輪状甲状靭帯になる。


上甲状切痕を探すときのコツは頚部を伸展位にせず、中間位にすること。

中間位なら簡単にみつかるが、伸展位で探すのはやや難しい。


ミニトラックに似たデバイスはほかにもある。

トラヘルパーとかクイックトラックとか言われるものだ。

オレは使った事がないどころか、見たこともない。


やはり自分の使い慣れたデバイス、得意な方法で気道確保するのが1番。

正解は医師の数だけある。

だから自分なりの必勝パターンを持っておくべきだろう。


そんな気道確保法の数々を語ったのは数年前の呼吸器外科学会の医療安全講習会での事。

「呼吸外科医相手なんて『釈迦に説法』じゃないですか?」と同僚たちには心配された。

でも、気道確保について熱く語り合えるのも相手が呼吸器外科医たちなればこそ。

オレはそう思う。


案の定、上甲状切痕の説明をしていると、会場の出席者たちはそれぞれにうなずきながら自分の喉を触ってくれた。


この時の呼吸器外科学会の会長が「泣き出した男 4」に登場した某大学の教授だ。

そのエピソードに登場した当時は准教授で、危うく患者を死なせるところだった。

だから、オレの話はとりわけ胸に響いたのではないかと思う。


講演後に「先生に頼んで良かった!」と喜んでもらえた。


今となってはいい思い出だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る