第404話 泣き出した男 6
(前回からの続き)
そして話を医療事故調査委員会の席に戻す。
この会議にオレは外部委員として参加している。
手術直後に患者を死なせてしまった整形外科医にオレは声をかけた。
彼は人目もはばからず泣いている。
「これまでに輪状甲状靭帯切開の経験は?」
「いや、やったことありません」
普通は無い、当たり前だけど。
輪状甲状靭帯切開なんか上気道閉塞の時以外に行うことはない。
つまり、誰にとってもぶっつけ本番だ。
もし経験があるという医師がいたら、多分そいつは最初の患者を死なせている。
「実はオレもないんだよな」
「だから練習用モデルを病院で購入したらどうでしょうか?」
内科医でもある医療安全室長の方を向いてオレは提案した。
「喉の部分の人工皮膚は
「3万円かあ……」
練習のたびに3万円とは法外な値段だ。
でも背に腹は代えられない。
「先生はどう?」
泣いている若い医師にオレは質問した。
「もしモデルが病院にあったら先生も練習する事ができるし……」
「是非お願いします!」
オレが言い終わる前に彼は両手をついてデスクに頭をこすりつけた。
「少しなら僕が寄付します。皆が練習できるよう病院に置いてください」
「それにしても3万円だからなあ」
医療安全室長は苦り切った顔だ。
が、内科医であっても遭遇する可能性があるのが
誰の前にも等しく地雷は埋まっている。
皆、見て見ぬふりをしているにすぎない。
正面から地雷と戦うか、逃げ回って一生を過ごすか。
いや、1人でも2人でも輪状甲状靭帯切開のできる人間がいれば応援を頼める。
「もし
「ええ! もう誰にもこんな思いをしてもらいたくないです」
「よし、購入決定だ」
オレが勝手に決めちまった、自分の病院でもないのに。
「本当に……買うんですか?」
医療安全室長がうろたえる。
「当たり前でしょう。真相究明だとか再発防止だとか言っても、結局は喉を切れるか否かですよ」
オレは一気に
「彼が『切る』と言ってるんだ。その気持ちを受け止めてやらなくてどうするんですか!」
「……」
「どんな困難気道にも逃げずに戦うと彼は決意したんです。それでこそ遺族の前にも出れるし、謝罪もできるんじゃないですか?」
「責任を認めるんですか」
「当たり前でしょう。起こったことは
「うーん、困ったなあ」
その時、若手医師が言った。
「私は遺族説明会の席上で謝罪したいです。そして2度とこんな事を起こさないのは勿論のこと、
その
他の出席者も
「そこまで言った上で訴えられたら仕方ないですね。民事はともかく刑事罰を食らうのだけは避けましょう、よろしくお願いします」
そう言ってオレは病院の顧問弁護士に向かって頭を下げた。
万一、刑事告訴されたら、警察や検察の厳しい取り調べが待っている。
その時に自らを支えるのは医師としての信念と覚悟しかない。
オレはそう思う。
(「泣き出した男」シリーズ、完結)
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