第395話 安請け合いする男

総合診療科そうしんに入院中の患者が某マイナー科で手術した。

その直後に敗血症はいけつしょうになってしまったのだ。


たった2行だけど、用語解説が必要かもしれない。


マイナー科というのは俗称だ。

メジャー科は外科、内科、産婦人科、小児科のことを指す。

マイナー科はそれ以外。

皮膚科、眼科、耳鼻科、泌尿器科、整形外科などだ。


一方、敗血症は血液の中に細菌がウヨウヨ泳いでいることを言う。

敗血症を「ゼプシス」、敗血症になることを「ゼプった」と言ったりする。

読んで字の如く、容易ならざる状態だ。


で、この患者を担当している診療看護師がオレに連絡してきた。


「向こうの担当医に転科を交渉したのですけど、うまくいかなくて」

「ええっ、術直後の敗血症だから向こうでるべきじゃないの?」

「担当医が異動で今日までしかいないんですよ」

「それはまたタイミングが悪いというか何というか」


先方の担当医が自分が診るなら話は簡単だ。

でも、いなくなる人間が簡単に引き受けるわけにはいかない。


「なので、向こうの部長先生に連絡してくれませんか」

「分かった」


担当医ではらちがあかないので部長に電話した。


「確かにウチで手術した直後の敗血症なんだから転科は当然だけど……」


なんだか歯切れが悪い。


「その人、急変したりしないだろうか」


そういうことか。

メジャー科が全身を診るのに対し、マイナー科は特定の臓器しか診ない。

だから敗血症診療のような全身管理は得意ではない。


「大丈夫ですよ。今すぐどうってことは無いです」


ここで診療看護師に病状を再確認したりしている暇はない。

交渉事こうしょうごとは勢いが大切だ。


「本当? ウチに転科したとたん死んだりしないかな」

「大丈夫、大丈夫! 心配いりません」


ということで交渉成立。

あとの細かい手続きのために診療看護師に電話した。


「先方で診てくれるそうだ」

「良かった!」

「向こうの部長先生は急変したりしないか心配していたんだけど」

「ああ、急変したんでカテコラミンを始めたところです」


カテコラミンというのは強力な昇圧剤だ。

それを開始したということは血圧がもたないってことか。

結構、重症じゃん。


診療看護師が続ける。


「ICUに入れてもらえないか連絡しているところです」

「おいおい」


あんだけ安請やすうけ合いしたのにICUって。

部長先生が聞いたら激怒するぞ。


これ、どうすんだべ。

もし「話が違うじゃないか!」と怒鳴られたらどうしよう。

あらかじめ言い訳を考えておかないと。


頭の中で想定問答だ。


「おいおい、カテコラミンまで使ってるなんて聞いてないぞ」

「なーに、ちょっと血圧が下がったんで念のため開始したんですよ。まだ挿管そうかんしたわけでも人工呼吸器レスピレーターに乗せたわけでもありません」

「でもICUに入れるって、それ相当重症だろ」

「先に声をかけておいただけです。他科にベッドを取られたらガッカリでしょ」

「もう週末だぞ。まさか土日に何か起こるなんてことはないだろうな」

「そのためのICUですよ。病棟と違って常にICU当番がいますから」


このくらい考えておけば十分だろう。


交渉つづきの毎日で口ばかりうまくなっちまった。

オレ、本当はもっと純粋で真面目なお医者さんなんだけど。


まあいいか。


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