第392話 顕微鏡を壊す男
「おっ、今日はやれなくて残念だったな」
「すみません。
そうオレがレジデントに言ったのは午後8時過ぎ。
たまたま医局に寄ったら2~3人がたむろしていた。
そのうちの1人に声をかけたのだ。
実は今朝の事。
午前中なら空いているから手羽先での
「すぐにスーパーに買いに行きます」と言った彼の声は遠い昔の記憶だ。
お互いに忙しくしているうちにこんな時間になってしまった。
「また今度、時間がある時に教えてください」
じゃあそうしよう、というわけにはいかない。
「何を言っているんだ。今からやるぞ」
「えっ、今から教えていただけるんですか?」
「
というわけで、夜ではあったがオレが手本を見せることにする。
医局には2台の実体顕微鏡が置いてあった。
1つは練習用手術器具が横に綺麗に整理されたもの。
もう1つは周囲にゴチャゴチャと手術器具が散乱しているもの。
当然、前者の方を使いたくなる。
ところが、実際に始めてみると見かけと違っていた。
ズーム機能が壊れているし、フォーカスも半分しか合わない。
「一体、どうなっているわけ、この顕微鏡?」
「いやあ、こっちは使った事ないんですよね」
仕方なく乱雑な方に席をうつしてやり直す。
「いいか、ここに必ず血管があって、1本の動脈に2本の静脈がついているんだ。この動脈が直径1ミリ程度なんで、ちょうど手術の時の血管と同じサイズになるわけ」
「これですね」
「こいつを
「なるほど」
「そして斜めに切ってからピオクタニンを塗るんだ」
ピオクタニンは青い色素で、
「あの、ピオクタニンを全部使ってしまいまして」
「なんじゃ、そりゃ」
練習に必要なピオクタニンもシリコンシートも何もかも無い。
そもそも血管を縫うための
ライフルが有っても銃弾が無いみたいなもんだ。
「おいおい。もうオレが自分の部屋から持ってくるから」
足りない物品を補充して、手羽先の血管に
「いいか、
オレは最初の2針をかけて、1針だけ結紮した。
「じゃあ、後はオレがやった通りにしてくれるかな」
「分かりました」
その時になってふと思いついて
もう1つの壊れかけの顕微鏡。
あれは最近
確か彼は血管吻合コンテストで何度も優勝して殿堂入りしたはずだ。
もしかして顕微鏡が壊れるまで修行を重ねたのだろうか?
そして今も練習を続けているのかもしれない。
そう思ったら納得がいく。
妙に整理された机の上も。
使い込まれて壊れてしまった顕微鏡も。
オレも練習した方だとは思うけど顕微鏡が壊れるまではやっていない。
世の中、上には上がいるもんだ。
恐れ入りました。
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