第383話 パワハラを指摘された男

外来にやってきたのは障害者雇用で働いている初老の男性。


5年ほど前に交通事故による頭部外傷で搬入された。

手術により一命をとりとめたが後遺症が残った。

それが高次脳機能障害だ。


以前は楽々できていたことができなくなった。

そして忍耐というものもなくなった。


要するにサラリーマンに求められる最も重要な資質、「我慢しながら仕事をする」という事ができなくなったのだ。


もともと勤務していたのは超有名企業。

そこでは閑職かんしょくに配置転換されながらも何とか定年まで勤めあげた。


退職したとはいえ、まだまだかせがなくてはならない。

そこで、障害者雇用で別の会社に就職した。

以前のような複雑な仕事はできないが、ちょっとした仕事なら可能だ。

簡単な仕事であっても素人にはできない程度には難しい。

だから新しい会社では貴重な戦力になるはずだった。


「先生、こないだ会社でトラブルになってしもうたんですわ」

「ん、どうしました?」


診察室に入るなり憤懣ふんまんやるかたないという調子で男性は語り始めた。


「私の仕事の1つに書類の仕分けっちゅうのがあるんですけど」

「ええ」

「お客さんや他部署からの書類を見て不備の有無を確認するんです」


不備が有ったら指摘して差し戻し、無ければ受理するのだそうだ。


「私は午後5時までやのに、4時55分頃に書類が来よったんですわ」

「あるあるですね」

「間に合うわけないから、書類を出してきた部署に行ったんですよ」


そこでひと悶着もんちゃくあったのだそうだ。


翌日、上司にあたる係長と課長に説教された。


「『昨日、隣の部署に怒鳴り込んだのだそうですね』って」

「本当に怒鳴ったのですか」


念のため、オレは確認しておいた。


「ちょっと大きい声を出したくらいで、怒鳴ったわけじゃないです」


大きい声を出すのを怒鳴るというんじゃないかな。

でも、余計な事は言わないでおこう。


「『そういうパワハラは困るんだ!』と課長に言われて」


怒鳴った課長はそのまま部屋を出ていった。

そして、残った係長にこんこんと説教されたそうだ。


もちろん課長は一回り、係長は二回りほど年下だ。


「先生、どない思います?」

「飲食店みたいに『4時半ラストオーダー、5時終了』なら良かったんでしょうね」


医療機関も似たようなもんだ。


総診の午前診なんか11時50分頃に3人くらい初診が入ることがある。

ひたすら診療していて気づいたら午後2時近くになっている。

だから、勝手に11時締切にしている先生もいるくらいだ。


「日本では仕事をキッチリするより皆と仲良くする方が大切ですから」

「やっぱりそうですか」

「ギリギリに来た書類なんか翌日に回したらいいんですよ」


ちょっと居残って片付けてしまうってのもアリだろう。

超勤さえつけなければ誰にも文句を言われる筋合いはない。


「せっかくだから、課長さんに注意してあげたら良かったんじゃないですか?」

「注意するんですか」

「『パワハラは困るんだ!』と怒鳴られた瞬間に返すわけですよ」

「ええっ?」

「『課長さんのそれはパワハラちゃうでー』って」


これはヒネリすぎかも。

ちょっと説明を追加しておこう。


「『当たり前だ。パワハラなんかじゃない!』と、さらに怒鳴られるでしょうから」

「ええ」

「『それもパワハラちゃうでー』ととぼけておいたらいいんですよ」


相手のパワハラを指摘するから火に油を注ぐわけだ。

パワハラじゃない、と言えば指摘したことにならない。


たぶん、もっと怒らせることになると思うけど。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る