第382話 壺に飛びつく女

「ええーっ! 私、肺癌になるんですか?」

「落ち着いてください」

「でも、肺癌って言いましたよね」

「黙って座りなさい。今から説教するから!」


 オレは思わず大きな声を出してしまった。


 前任者の異動に伴って引き継いだ中年女性。

 もともとの病気とは別に胸部CTを1年に1回、フォローしている。


 たまたまスリガラス陰影が見つかったからだ。

 肺癌の初期ということもあるので定期的な画像診断をしている。

 幸いなことにスリガラスは形も大きさも変わらないまま何年もつ。


 ところがこの女性は何のために胸部CTを撮っているか理解していなかった。

 尋ねられたオレはストレートに答えた。


「スリガラス陰影というのがあって、それを見張っているんです」

「何ですか、そのスリガラス陰影というのは?」

「初期の肺癌ということがあるんですよ」

「ええーっ!」


 そして冒頭のやり取りになった。


「いや、だからまだ肺癌にはなっていないんだって」

「でも肺癌になるんですよね」

「ならん! というか、肺癌になるのは100人に1人です」


 この際、正確な数字はどうでもいい。


「でもお」


 こういう人が100万円の壺を買ってしまうんだろうな。

 統一教会がもてはやされるはずだ。


 そっちが壺ならこっちにも考えがある。


「こういうのはね、見張るのをやめた時にかぎって肺癌になってしまうんですよ」

「じゃあどうしたらいいんですか!」

「毎年ちゃんと検査をしていれば肺癌にはなりません」

「分かりました。来年も検査します!」


 よく分からないロジックだけど壺よりはマシだ。

 万一、肺癌になったら「早期発見できたのは不幸中の幸い」と言おう。



 とはいえ、前任者が肺癌の説明をしていないはずがない、と俺は思う。


 オレは患者とのやりとりを逐一ちくいちカルテに残しておくタイプだ。

 来年も同じ事を言われた時に備えて、だ。


「あのねえ、去年も寸分違すんぶんたがわず同じ事を言っておられましたよ」


 この台詞せりふ、これまでに何十人の患者相手に使ったことか。


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