第341話 警察に踏み込まれた女 1

「ワイら強面署こわもてしょのモンやけどな。現場の方に案内してくれるか」

「何ですか貴方あなたがたは。他の患者さんもいるんですから静かにしてください」

「そやから強面署こわもてしょやって言うとるやないか。現場はどこやねん!」

めて下さい。警察を呼びますよ」

「その警察がわざわざとるんや。分からんやっちゃなあ」


警察役に踏み込まれた看護師長役はパニックを来している。

医療安全研修での事。


正確には医療安全管理者養成講習会といい、40時間のプログラムだ。


内容としては、医師法19条や21条など関係する法律の知識、医療事故防止のための情報収集と分析、発生した医療事故への対応などを含んだものでなくてはならない。


が、どうせなら座学中心ではなく、実戦的なロールプレイを中心としたものをやろうということになった。

オレたちは架空の医療事故を準備し、それをもとにトレーニングを行っている。


今やっているのは警察対応というものだが、これは序の口だ。

その他に署での取り調べだとか模擬裁判だとか記者会見だとか、あらゆる非常事態に備えた訓練を行う。


今回は入院患者に対する過剰輸液で死亡事故が起こったという想定だ。

遺族が警察に通報し、強面署こわもてしょから10人ばかり病院にやってきた。

医療事故というのは基本的には民事なのでこういう事は滅多めったにない。

まれにあり、その時は警察に踏み込まれる。

だから、そのための心構えや訓練も医療安全担当者には必要だ。


警察役と看護師長役が膠着状態こうちゃくじょうたいになったので、講師のオレはストップをかけた。


「皆さん、一旦いったん立ち止まって考えてみてください」


病棟師長の役を演じていた女性はホッとした表情。

この人、現実でも看護師長じゃなかったかな。

それはともかく。


「昨日も皆さんに言いましたが、事実と見解を分けて考えましょう」

「……」

「この場面での『事実』とは何でしょうか、師長さん」

「……」

「誰かが通報して警察に踏み込まれたということですか?」


師長役にオレは尋ねた。


「そ、そうですね」

「ブッブーッ! それは間違いです」


オレは言った。


「ここでの事実は強面署こわもてしょの刑事を名乗る体格のいい男性が何人かやって来た、ということですね」

「あっ!」

「気づいてくれましたか。だから最初に皆さんがやる事は警察の人たちの身分証を確認することです。警察手帳ではなく顔写真入りの身分証を提示してもらって、そこにある名前・所属・IDを記録して下さい」


警察対応の基本なのに、実際に踏み込まれたらパニックになってしまって全く出来ていない。



「そうそう。もしかして御家族に警察関係者がいらっしゃるという方?」


そう言ってオレは20人余りの受講者を見渡した。

静かに手をあげたものがいる。


「どなたが警察関係者ですか?」

「旦那が捜査一課の刑事です」


おいおい本職かよ。

医療事故が強行犯にあたるのかオレも知らないけど。


「今やっているシミュレーションで合ってますか?」

「いや、自分の方から身分証を見せていると旦那が言ってました」

「なるほど」

「それと、ややこしくなるだけなので怒鳴ったりしないそうです」


そりゃそうだ。

人間、誰しも早く仕事を片付けて帰りたいもんな。


「やはり警察も進化しているという事ですね」


受講生たちがドッと笑った。

思いがけずウケた事に気をよくしたオレは続きを行うことにする。


「そもそも警察が病院にやってくる理由は何でしょうか?」


そう尋ねると師長役が答えた。


「医療事故が起こったからではないですか?」

「そうなんですけど、特に何を目的にしているのか。警察の立場でよく考えて下さい」

「……」


相手の立場に立って考える、というのはどんな場面でも大切だ。

さらに問う。


「医療事故を起こした病院をらしめに来ているのでしょうか?」

「そう……だと思います」


それは錯覚さっかくだ。

だから混乱してしまって収拾しゅうしゅうがつかなくなる。


「皆さん、自分が刑事になったつもりで、よーく考えてください」


受講生たちは静まり返ったままだ。

だから、オレの方からヒントを出すことにした。


(次回に続く)

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