第327話 自分に甘く他人に厳しい男

「ええか、患者っちゅうのはしんどいから病院に来とるんや」

「もう朝から食べてないから、お腹が空いて仕方ないわ!」


そう左右から攻撃された。

初老の夫婦で、異動になった別の医師から頼まれた患者だ。

それ以来、オレの総合診療科そうしん外来に通院している。


引き継いだ当初、奥さんがやたら疲れると訴えていた。

だから、色々調べたら副腎皮質機能低下症がある。

以来、少量のステロイドホルモンを開始すると調子が良くなった。


それでもスッキリとはいかない。

日によっては倦怠感があるという。


が、おれも内分泌には詳しくない。

だから、同じ日に内分泌内科医が外来を始めた時にはホッとした。

それで「専門家に診てもらいましょう」と、夫婦を説き伏せた。


やはり餅は餅屋。

それまでオレが朝昼に分けて投与していた薬が朝夕に変更された。

倦怠感はかなり良くなった。


が、同じ日とはいえ、2人の医師にかかるとなると時間がかかる。

朝の9時にオレが診察して、10時に内分泌内科医が診察する。

その結果を受けてオレが再度診察して薬の調整をする。

ステロイド以外にも降圧薬などがあるので調整作業は必要だ。


が、この2時間が待てないのだそうだ。


その日の2回目の診察の時にかなりクレームをつけられた。

が、オレも待たせたくて待たせたんじゃない。


いつもの事ながら、次々に来る外来患者の診察に追われていたのだ。

特にその日の初診患者の女性には手こずった。

確か、発作的な頭痛、眩暈、視野障害だったと思う。

その主訴を聞いただけで9割の医師は「勘弁してください。私の専門じゃありません」と言いたくなるだろう。


実際、紹介してきたのは近所の開業医だ。

診療情報提供書には「参りました、降参です。お願いします」という主旨の事がそれとなく書かれていた。


何しろ10年に渡る病歴の整理だけで20分や30分はかかる。

だから、黙って座ればピタリとあたる、というわけにはいかない。


診察中なのに、かの初老夫婦がいきなり扉を開けて診察室をのぞいた。

「いつまでかかるんや」と言いたいらしい。

患者が服を脱いでいるかもしれない、などとは考えないのかね。


で、ようやく初診患者の診察が終わって初老夫婦に声をかけた。

もう怒り心頭になっている。


「一体いつまで待たせたら気が済むんや!」


いつもなら「すみません、おしっこに行くのも我慢して頑張っているんで御理解ください」とギャグでかわすのだけど、頭ごなしに言われるとつい言い返してしまう。


「いやいや、他の患者さんを診ていたのですから、時間がかかる事もありますよ」

「こっちは3時間も待っとるんやぞ」


その3時間、オレはヒーコラ言いながら働いていたんだけど。


「採血のために朝から食べていなんだから!」

「もう採血が済んでいるのなら先に食べてきてもらっても」


早めの昼ごはんを食べて待っていれば無駄もない。


「ポケットベルとか、そういうのがあるやろ!」


長くなりそうな時は内科外来の受付からポケットベルを渡すこともある。

何年も通院しているのだから、そういうシステムを知っているはずだ、この人たちも。


「ポケットベルを貰って昼御飯に行ってもらったら良かったんじゃないですか」

「そっちから気を回して言えよ、かねもらってるんやろ。何でこっちから言わなアカンねん」


おいおい、何を言い出すんだ。

外来ナースが気を回せるはずがない。

内科の診察室だけで10以上あり、3~4人いる内科外来のナースは常時入れ替わっている。

化学療法室から応援に来たり、整形外科から応援に来たり。

「ここは何処、私は誰?」みたいな人間に期待する方がおかしい。


「働いている分、金をもらうのは当然ですよ。そりゃあ、働いてもいないのに金をもらったりしたら……」


そう言いかけてオレは言葉を飲み込んだ。

電子カルテの保険区分欄に「生保」とあったからだ。

すなわち生活保護だ。

「働かざるもの食うべからず」的な事を言ったら間違いなく爆発する。


「ですから『昼御飯を先に食べてきていいですか?』とか『ポケットベルをお借りできませんか?』とか言ってくださいよ。そうしたらお互いイライラせずに済むじゃないですか」

「こっちからは言わんからな」


散々な言われようだ。

自分に甘く他人に厳しい人には付き合いきれない。



あとで隣の診察室の同僚に声をかけられた。


「先生も大変ですね。おこられっぱなしで」

「そっちまで聞こえてましたか。どうも生活保護の人はトラブルになる確率が高い気がします」

「いやいや、それは因果関係が逆です。何かとトラブルを起こす人が生活保護になるんですよ」

「なるほど! これは勉強になりました」


すぐおこる理不尽な人に給料を払う会社もないよな。


必要なら生活保護を受給するのは当然だとオレは思っている。

様々な理由で公的援助を受けるのは何ら恥ずべきことではない。


が、病院でトラブルを起こすのはやめて欲しい。

キチンと対応しようと思ったら、どの患者にも時間がかかってしまう。

かの頭痛発作の患者だけでなく、この初老夫婦にもオレはキチンと対応してきた。

オレのスタイルが気に食わないのなら待たなくて済む医療機関に行けばいい。


とは思うものの。

ほかの病院にうつってもらってもいいのですけど」という台詞は別の地雷だ。

これを言って怒鳴られた医師を何度も目撃した。

相性が悪ければ別の医師にするという提案は妥当なものだと思うのだけど。



ともあれ。

初老夫婦は3ヶ月後に再診になっている。

その日の事を考えると今から憂鬱ゆううつだけど、淡々と対応するのみ。

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