第322話 「神の手」ではない男

 オレの脳外科外来には遠くから通院している患者が少なくない。

 これが「神の手」を求めて、というならカッコいい。

 オレも遠慮なく自慢させてもらう。

 が、現実はもっとショボいものだ。


 ある患者は半年に1回、1泊2日でやって来る。

 地方公務員をしている初老の男性だ。

 そもそもは原因不明の頭痛だった。

 画像診断や血液検査や色々調べてもよく分からない。


 が、その中に「ん?」と思う検査結果があった。

 甲状腺ホルモンが若干低かったのだ。

 基準値をやや下回っている。


 甲状腺機能低下症だろうか?


「ひょっとして寒がりということはありませんか」

「いや、特にそうでもないですね」

「最近になって、やけに髪の毛が抜けるとか?」

「それは確かに、年ですから」


 うーん、怪しい症状はあるが年齢のせいと言えなくもない。


「疲れやすくなったとか」

「それはありますよ。何かあるんですか?」


 実は甲状腺機能低下症が疑われること。

 症状としては、寒がり、脱毛、疲労、記憶障害などがある、ということを説明した。


「こういうのは内分泌内科が専門になるのですけど」

「ちょうど近くに大学病院があるので、そちらで調べてもらいます」

「分かりました。ぜひ専門家に診てもらってください」


 ということで、その患者は地元の大学病院を受診した。

 が、この程度の数値では甲状腺機能低下症とはいえない、と診断されたそうだ。



 が、患者は何故なぜか半年後にオレの外来にやって来た。


「この前、先生に言われた事が気になりましてね」

「どの部分でしょうか?」

「朝から働くと昼頃に電池切れしてしまう気がするんですよ」

「ああ、疲れやすいって事でしょうか」

「それでね、もしかしたら甲状腺機能低下症ではないかと思うんです」


 こういう場合の患者の直感は案外正しいことが多い。


「じゃあ、もう1度大学病院宛に診療情報提供書を書きましょうか」

「いや、もう先生の方で薬を出しちゃってください」

「出すのはいいけど、ここまで通院するのって大変じゃないですか?」

「確かにそうですね」

「じゃあ、疲れにくくなったかどうか、メールで僕に教えてください。その結果で今後の事を考えましょう」


 治療的診断という事でチラーヂンという甲状腺の薬を処方した。

 とりあえず最低限の量にしておく。


 で、1ヶ月後に来たメールは喜びに満ち溢れていたものだった。


「画期的に良くなりました。相変わらず電池切れしますが、正午ではなく夕方です!」


 という事で、今では調子良く働いているそうだ。



 これは「症状を治すか、数字を治すか」という問題に帰着する。

 いくら検査結果に異常がなくても、本人に症状があれば、その治療を優先すべきだ。

 特に甲状腺機能低下症はちょっとした事でずいぶん結果が変わってくる。

 地元の専門家は患者を診ずに数字だけ見ていたのだろう、と言ったら言い過ぎだろうか。


 一方、数字を優先すべき疾患があるのも事実ではある。

 例をあげるなら、高血圧とか糖尿病とかだ。


 症状がないからといって放置すると大変な事になる。

 高血圧をそのままにしていると動脈硬化が進んで脳卒中や心筋梗塞になってしまう。

 糖尿病なら失明したり腎不全で透析生活になったり、だ。


 だから、こういった疾患は数値を治すべし。



 とはいえ、脳外科外来で甲状腺機能低下症を治療するのもなんだかな。

 ま、「神の手」でもないオレにとっては適材適所かもしれないけど。

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