第321話 メスを置こうとする男

オレは医療事故調査委員会に関わることがある。

いわゆる「事故調」と言われる正式のものから、院内のちょっとした調査まで。


事故にも色々ある。


論外な事故といえば、手術の際の患者間違いや左右間違いだ。

脳のような左右対称の臓器は間違いやすいので細心の注意を払わなくてはならない。


が、それでも起こる時は起こる。

信じられない事に外科医も麻酔科医も看護師も全員が勘違いしてしまうわけだ。

幸いにしてオレ自身は左右を間違えたとか患者を間違えたとかいうことはない。



が、多くの医療事故はそんな単純なものではない。

色々な要素が絡まり合ったもっと複雑なものだ。


ある医療行為の直後に患者が死亡した、というものを考えてみよう。

遺族には「直後に死んだのだから、その医療行為が間違っていた」と思われがちだ。

しかし、当該医療行為には全く問題がない、ということも多々ある。



交通事故にたとえると分かりやすいかもしれない。

停車中の乗用車に追突した自動二輪車のライダーが死んでしまったする。

これで責任を追及されたら乗用車のドライバーはたまったもんじゃない。

だから、このような場合には当該ドライバーは無責になる。

これは明々白々だ。



もう少し複雑なものといえば、こういうのもある。

医療行為に問題があり、その直後に患者が死亡したが、その間に因果関係はないというもの。


これも交通事故にたとえてみよう。

車で出勤する時に家の前の赤信号をついうっかり無視してしまったが何も起こらなかった。

で、職場の前の交差点で信号待ちをしているところに自動二輪に追突されたとしよう。

これでバイクのライダーが死んでしまったらどうなるのか?


事実を意図的に切り貼りしたら「信号無視の乗用車が交通事故で自動二輪のライダーを死なせた」となってしまう。

しかし、信号無視と追突事故との間には因果関係はない。

当然、この死亡事故に関しても車のドライバーは無責となるべきである。



交通事故なら比較的単純だが、医療行為と結果の関係は複雑怪奇だ。

なので、調査には手間がかかるし、報告書作成にも時間がかかる。

1年かかって結局は原因不明という事も珍しくはない。



ただ1つ言えることは、当事者はボロボロになってしまうということだ。

外科医であれば「メスを置く」という思いが何度も頭をよぎる。


明らかな力不足による事故なら今後の手術から身を引くことも考えるべきだろう。

が、多くの場合はベテランの術者の手術の後に事が起こっている。

患者が死亡したり、患者に重大な障害が残ってしまったり。


でも、オレはベテラン外科医には辞めてもらいたくない。

その医師が術者になるまでの膨大な時間と努力を知っているからだ。

医学部に入るための受験勉強の何倍も大変なものだし、それは引退するまで続く。



何年か前の事。


他院への異動が決まった外科医がこんな挨拶をしたそうだ。

自分の患者が手術直後に死んでしまって、もう外科医をやっていけないと思った。

でも「絶対にやめるな、手術を続けろ!」と言われて踏みとどまったのだ、と。


「やめるな」というのはオレの台詞だったらしいが、憶えていない。

でも、オレの言いそうな事ではある。


彼は素晴らしい力量をもっていた。

メスを置いたりしたら、それは社会にとっての大きな損失だと思う。



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