第320話 患者を寝かせておく男

「ムチウチってのは結局、安静にして寝かせておくしか無いんですよね」


突然、レジデントに尋ねられた。

以前、救急外来で診たムチウチ患者が脳外科外来にやってきたらしい。

背中や腰の痛みが一向によくならないそうだ。


「適当に片づけずに、ムチウチのどのタイプになるかぐらい診断しろよ」

「ムチウチにもタイプがあるんですか」

「あるよ、4種類。言ってみろ」


レジデントは答えようとする代わりにスマホで調べ始めた。


「なんか5種類あるみたいですけど」

「いつの間にか増えていたのか!」


俗にムチウチと呼ばれるものは、正式には外傷性頚部症候群という。

頚椎捻挫型、神経根症状型、脊髄症状型、そしてバレリュー症候群。

通常はこのの4つに分けられる。


レジデントの示すサイトには5つ目として髄液漏出症があげられている。


これは外傷性頚部症候群というより、追突事故をされた人の症状だ。

見ていたのは交通事故の被害者救済を謳った保険関係のサイトだった。


なるほど。

確かに追突事故の後、1ヶ月ほどで耐え難い頭痛が出てくる事がある。

その原因としては髄液漏出症の可能性が高い。

だから第5のムチウチと分類されたわけだ。



それはさておき。


「だから、寝かせておけとか言わずにちゃんと診断してやれよ」

「でも、救急外来でちょっとCTを見ただけなんですけど」

「CTを見たら十分に因縁ありだ。先生を頼って来たんだぞ、その人は」

「ええーっ、頼られたくないです」


このレジデントの気持ちは分からなくもない。

ムチウチの患者にとりつかれて辟易へきえきしている医者が多いのも事実だ。


辛いです、とか。

治してください、とか。

診断書を書いてくれ、とか。

ほかの部分も痛くなりました、とか。

いつになったら治るのですか、とか。


で、「自然に治るのを待ちましょう、治らなかったらあきらめてください」などと言ったりしたら大変な事になる。

文句を言うなら追突したドライバーに言ってくれ、というのが医者の本音なんだけど。



とはいえ、「寝かせておけ」というこのレジデントも手抜きがすぎる。


「次は脊椎MRIでも撮っておいたらいいんですか」

「いやいや、画像診断で分かるのは脊髄症状型くらいだろ。それでも分からんことも多いし」

「やっぱり寝かせておくんですかね」

「だから、まず診察しろよ。で、5種類のムチウチのどれかを確定しようぜ」

「……」

「その上で、必要に応じて脊椎MRIの撮影じゃないかな、普通は」


このレジデントにかかったら、「脊椎MRIには異常がないので、あなたの背中は痛くありません」と言われそうだな。



実はムチウチってのは治す事ができる。

治せないまでも、かなり症状を軽減する事は可能だ。

でも、1人あたりの患者に費やす時間とエネルギーが莫大ばくだいになる。

こちらの生命力がすべて吸い取られてしまうといっても過言ではない。

だから、あまり関わりたくないってのが本音だ。


もし、ムチウチ診療に一生を捧げます、というレジデントが現れたらオレのノウハウを伝授してもいいんだけど。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る