第317話 怒鳴られて胃の痛い男

大昔の事。


頚動脈の手術の時に内シャントを入れる操作が必要になった。

一時的に頚動脈の血流を遮断するのだが、その間も脳には何らかの形で血液を送り続けなければならない。

その時に用いるのが内シャントというものだ。


形がT字形をしており、内頚動脈側と総頚動脈側にチューブを挿入する。

そして血液が漏れないようにバルーンを膨らませる仕組みだ。

問題は、内シャントを挿入するときの操作が複雑だということにある。


内頚動脈のブルドッグ鉗子かんしを外してチューブを挿入しバルーンを膨らませる。

再びブルドッグ鉗子で内頚動脈を噛んで、チューブからの血液の逆流を確認する。

この同じ事を総頚動脈にも行い、両方にうまくチューブを挿入したら血液を流す。


この一連の操作を2人ないし3人で行わなくてはならない。

しかも人によって操作の手順が微妙に異なる。


だから当時のオレは部長に「先に手順を確認しておきませんか?」と提案した。

挿入直前に打ち合わせをしておけばスムーズに行くと思ったからだ。

すると、「手順なんか無い!」と一蹴いっしゅうされた。


結局、初顔合わせの2人で行う手術操作は何ともチグハグになってしまった。

そのせいで、一方的に怒鳴られる。

もう無茶苦茶だった。


今でもオレが悪かったとは思えない。

部長の思っていたのとオレが習ってきた手順の間に違いがいくつもあった。

だからオレがもたもたしていたように見えたのだろう。


内シャント挿入操作は5分程度で終えてしまわなくてはならない。

その間、脳の血流が極端に低下しているからだ。

だから部長が怒るのも分からなくはない。

が、うまくやろうとするなら直前にキチンと打ち合わせをしておくべきだ。


オレがテレパシーでも持っている思ったのだろうか。

超能力者でもない限り、言わない事は伝わらない。

そういう事が分からないのかね?


実際、その病院で働いている間ずっと胃が痛かった。

たぶん神経性の胃潰瘍か何かができていたんだろう。


幸い、オレは転勤になった。

そして、部長は10年ほどして亡くなった。



さて、現在の脳外科手術。


内シャント挿入の時には術者と助手、レジデントの3人で直前に打ち合わせをしている。

先日もそうやって手術を行った。


「内頚動脈に挿入したらバルーンを膨らませてブルドッグで噛んで……」

「よし、これで行こう!」


助手のオレと術者で始めようとしたらレジデントから「待った」がかかった。


「すみません。確信がないのでもう1度お願いします」


オレたち3人はもう1度最初から最後まで手順を確認した。

レジデントが納得したら本番にとりかかる。

お蔭で内シャント挿入も抜去もスムーズに行うことができた。


レジデントも馬鹿ではない。

言えばできる。

でも、言わなければできないのは当然だ。


令和になっても怒鳴る外科医が存在するのには辟易へきえきする。

そういう人たちに関わるのはやめておく方がよさそうだ。

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