第318話 風俗に行った男 1

「ええっ、彼女がいるのに風俗に行ったのか!」


オレがそう言うと患者は明らかに動揺した表情を見せた。

そして診察室の扉の向こうを指さしている。


「今日、彼女さんが一緒に来ているわけ?」

「そうなんですよ」

「じゃあ風俗とかバイアグラとかいうのが聞こえたりしたら大変な事になってしまうわけね」

「ええ、ですから風俗、風俗と言わないで欲しいんです」

「よし、分かった」


何故かこういう事については男同士は協力してしまうのが世の常だ。


「彼女さんには『彼はバイアグラを飲んで風俗に行ったりしてないぞ』と言えばいいのかな?」

「勘弁してください、お願いします!」

「それにしても、その年齢でバイアグラなんか飲む必要ないだろう」

「ちょっと試してみたかったんですよ」



実はこの青年、20歳になるかならないかだが、頭が気持ち悪い、吐き気がする、という事で総合診療科を受診した。

他院で頭部MRIを撮影したが、診断がつかなくてこちらに紹介されてきたのだ。


「座っていると調子が悪くなってくるので、そういう時には横になるんです」

「なるほど。寝ると調子良くなるわけね」

「そうなんですよ」

「親には怠け病と言われるし」

「いやいや立派な病気なんで、怠け病じゃないから」


そう言ってオレは紙に「髄液漏出症ずいえきろうしゅつしょう」と書いて渡した。

口で言っても分かりにくいが、漢字を見れば何となく理解できる。

他に「低髄液圧症ていずいえきあつしょう」とか「髄液減少症ずいえきげんしょうしょう」という呼び方もあるので、それも紙に書く。

そして病気についての簡単な説明を行った。


「要するに脳を包んでいる髄液という水が少しずつ漏れていて」


オレは紙に絵を描きながら説明を続ける。


「髄液が減ると脳がプカプカ浮かんでいることができなくて、頭痛や吐き気が起こるわけ」


青年はうなずいている。


「だから、座っていると調子悪く、寝ていると楽になるんだけど、それで合ってそうかな?」

「めっちゃ納得しました!」

「湯舟にかったりしたら頭が痛くなる人が多いけど」

「風呂には入らないです。シャワーも冷水にしています」


なるほど、熱い風呂に入ったりしたら調子悪くなるので自然に冷水になったのか。


「それに冬でも薄着なんですよ、今も半袖です。すぐにオデコに汗をかくし」


確かにコートの下はTシャツ1枚だ。


「この髄液漏出症ってやつは、放っておいても自然に治るんで。しばらくは運動とか長距離を歩いたりとかしないように」

「どのくらいで治りますか?」

「せいぜい3ヶ月かな」


青年はようやく表情が明るくなった。


「それと、ちょっと性病とかそういうのが心配なんで調べることはできますか?」


これを言う男性はあまりにも多い。

だからいつものセリフで答える。


「いいよ。血液検査をしよう。ただ、そういうのだけ調べたら目立ってしまうから肝機能とか腎機能に混ぜて調べておこうか。結果が出るまで1時間半くらいかかるけど」

「ありがとうございます。ぜひ、お願いします!」


どこまでも分かりやすい青年だ。


「それにしても何で水が漏れたりするんですかね」

「急にせたりとか、車で追突されたりとか、ジェットコースターに乗ったりとか、色々だね」

「もともと痩せていて、これでもちょっとは戻ったんですけど」


確かに見た目にも青年は痩せている。



1時間半後、採血の結果が出た。

幸いな事に梅毒やHIVを含めて、感染症はすべて陰性だった。

排尿時痛や尿道からうみが出てくるということもないのでセーフだろう。


ちょっと気になったのは赤血球数がやや多いことだ。

通常は400万~550万のところ、青年のそれは600万を超えていた。


「なんでこんなに高いんですか?」

「うーん。総タンパクも高いし、脱水気味なのかなあ」

「でも1日に3リットルくらいは水分をっていますよ」

「高いといっても大したことないから心配しないように」


1ヶ月経っても頭痛が治らなかったらまた来るように。

そう言ってオレは青年を帰した。



重大な見落としに気づいたのは夜になってからだ。

あわててスマホで調べてみる。


「やっぱり!」


青年の言葉は、繰り返し特定の疾患を示唆しさしていた。

なんで診察中に気づかなかったのか?


仕方ない。

明日、残血ざんけつで検査を追加してもらおう。


「めっちゃ納得しました」と言われて、オレはいい気になっていた。

それでバチが当たったのか、情けない。


(続く)


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