第310話 行き当たりばったりな男

「脳外科医は皆さん準備周到なのに、どうしてシャントの時は行き当たりばったりなんですかね?」


 誰かが手術室で言っていた名言だ。

 言ってた本人も脳外科医だから病識びょうしきがあったという事になる。


 確かに脳というデリケートな臓器を扱う仕事ゆえ、慎重な人が多い。

 そして例外なく準備周到だ。


 ところがシャント術、この手術だけはそうではない。


 シャントというのは脳室腹腔短絡術V P シャント腰椎腹腔短絡術L P シャントと呼ばれるものだ。


 いずれも脳が浮かんでいる髄液を腹腔内に流す手術。

 脳室や腰椎側チューブ、圧調整バルブ、腹腔側チューブなど3~4点の医療材料を体内に埋め込む。



 ここでは腰椎腹腔短絡術L P シャントについて述べる。


 背中側の腰椎を穿刺せんしし、皮下を通してチューブを左の腰骨の上にもってくる。

 そこに圧調整バルブをつなぐ。

 一方、腹腔側からも皮下を通してチューブを左の腰にもってきて圧調整バルブにつなぐ。


 単純な手術なので1時間半ほどで済んでしまう。


 が、この手順が問題だ。

 他の手術と違って自由度が大きい。


 腰椎穿刺を最初にしてもいいし、腹腔側から手術を行っても良い。

 人数が多ければ両方1度に行うことも可能だ。

 また、左の腰の皮切も1つだけの人もいれば2つの人もいる。


 で、皆がバラバラにやると、どうにも変なことになりがちだ。

 1度などは皮下を通すはずのチューブが、気づいたら皮膚の上を通っていたことがある。


 幸いこの時は皮膚の上といっても2センチほど。

 皮切を追加してチューブを埋め込んでことなきを得た。

「コ」の字形になってしまった皮切はちょっと情けなかったけど。



 で、最近になって良い事に気づいた。


 手術にかかる前に担当者全員で手順を確認すれば良いわけだ。

 先日、レジデントと2人で行った腰椎腹腔短絡術L P シャント

 皮切前に打ち合わせをしたら予想外にスムーズに事が運んだ。


「腰骨のところは皮切を1つか2つかどっちにする?」

「1つで行きたいです」

「よし、じゃあ腰椎穿刺してチューブを挿入し、その後に腰骨の皮切からパッサーを入れてチューブを引き抜くか」

「それだと皮下が無駄に大きく剥離はくりされてしまうので、ゾンデを使いたいのですけど」

「じゃあゾンデと絹糸けんしでチューブを引き抜こう」


 ソンデは鉛筆の芯ほどの太さ、パッサーはバターナイフぐらいの太さだ。

 パッサーは頑丈だが、ゾンデの方が体に優しいのは言うまでもない。


「そのあと、圧バルブをつけてから腹腔側チューブをお腹の方に引っ張るか」

「でもチューブが邪魔になりませんか。引っ張るのは後にしましょう」

「OK、腹腔内に達してから引っ張ればチューブが邪魔にはならないからな」


 術野にブラブラしているチューブをよけながら操作するのも鬱陶うっとうしい。

 だから、先に必要な操作を終える事にする。


「あと、チューブ挿入後にタバコ縫合するけど刺してしまいそうになるだろ?」

「そうですね。実際、500回に1回ぐらい刺す人もいるでしょうね」

「だから、先にタバコ縫合しておいてから後でその輪の中にチューブを入れようぜ」

「分かりました」


 信じられないことだけど、縫合の最中に針が他の糸を串刺しにすることがある。

 糸ですら縫うわけだから、もっと太いチューブは余程よほど気をつけなくてはならない。

 だから、先に針糸をかけてから、その輪の中にチューブを入れようってわけ。

 これなら100万回やろうが絶対にチューブを縫ってしまう事はない。



 ということで、あらかじめ手順を確認してから手術を開始する。

 驚いたことに予定時間より30分も早く終わってしまった。


 何かコツがあるとすれば、打ち合わせは直前にする、という事かな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る