第295話 視線を外す女

その女性は30歳代。

夫婦で子供が欲しいと言っていた。


しかし、痙攣発作けいれんほっさがうまくコントロールできていない。

あの薬、この薬と変更してみた。


が、この痙攣発作とは別に、時々嘔吐が起こる。

それも1日中吐いてしまって薬が飲めないばかりか夜も眠れない。


そうなると断薬、断眠という痙攣発作を起こす条件が揃ってしまう。


「この2ヶ月で発作は5回起きました」

「5回……ですか」

「嘔吐は3回ですね。その間は眠ることもできませんでした」

「当然、薬をのむこともできないわけですね」


彼女はうなずいた。


「じゃあ、前回から出しているラミクタールを増やしてみましょう」

「……」

「とは言っても、急に増やして副作用が出るのも困るので、少しずつですね」

「……」


薬を増やすことが嫌なのか、彼女は視線を外して黙ってしまった。


「何か不具合でも……うわっ痙攣だ!! 誰か来てくれ!」


彼女が黙ってしまったのは突然発作が起こったからだ。

座ったまま魂が抜けてしまったかのようになっている。


オレは急いでそばに寄って肩を掴んだ。

どちらに向かって倒れても支えられるように。


「先生、痙攣が起こったんですか!」

「そう!」


通りがかったスタッフがストレッチャーをもってきた。



彼女の方は正気に戻ったのかキョロキョロしている。


「たった今、痙攣けいれんが起こっていましたよ」

「そう……なんですか」

「ストレッチャーに寝ますか?」

「いや、大丈夫です」


ストレッチャーは元に戻してもらった。


「診察室に入って来たところまでは憶えていますか?」

「ええ」

「その後、私とした会話は」

「そこから先はあまりよく憶えていない……です」


やはりあの1分ほどの間、痙攣発作が起こっていたようだ。


「御迷惑をおかけしました」

「いやいや、迷惑ということは全然ありませんよ」


むしろ痙攣発作をコントロールできていない自分が申しわけない。


とにかく血中濃度半減期の長いものを併用しよう。

そして、たとえ嘔吐が続いても発作が起こらない、という状態に持っていかなくては、と思う。


「少し薬を増やしたので、次は1ヶ月後に来てください」

「はい」

「何とか発作を抑え込みましょう」

「よろしくお願いします」



妊娠を希望している女性の場合、使える薬が限られてしまう。

胎児への催奇形性さいきけいせいのリスクをかいくぐらなくてはならないからだ。

それでも何とか夫婦の希望をかなえてあげたい。


ん?


これまで、「嘔吐があっても発作は起こらない、という状態を目指さなくては」とばかり思っていた。

果たしてそれは正しかったのだろうか。


嘔吐そのものについては専門外なので診断も治療も考えていなかった。

でも、本気で対応すれば何とかなるかもしれない。


よし、上等だ!


この夫婦の人生を変えることがオレに課された使命ってわけだ。

神様に授けられた能力、そして国家に与えられた資格はそのために使うべきだろう。


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