第273話 お悔やみを伝える男

「あっ先生。先ほど老川おいかわツルさんの娘さんから電話があって」


 オレは脳外科外来でクラークに声をかけられた。


「亡くなったそうです」

「あらら、もう90歳をこえていたのだったかな」


 そう言いながら電子カルテを開ける。

 診断名一覧の転帰欄てんきらんに「死亡」と記入した。

 続いて年月日を入れようとして聞いていなかったことに気づいた。


「亡くなったのは何月何日?」

「それが電話を受けたのが内科外来のクラークで日時までは聞いていなかったそうです」


 確認しておいてくれよ。

 カルテが完結しないじゃん。


「じゃあオレが娘さんに電話していてみるわ」

「すみません、お願いします」


 という事で娘の携帯に電話する。

 病院からだということを告げて死亡年月日を確認した。


「〇月〇日です」

「お亡くなりになったのは御自宅でしょうか?」

「いや、××中央病院です」

「ありがとうございます。もし死因が分かりましたら……」

「腎不全でした」


 ずっと透析とうせきしていて、最近は本人が来院する事はほとんどなかったもんな。


「これでカルテを完成させる事ができました。心からおやみ申し上げます」

「ありがとうございます」


 そう言って電話は切れた。



 不意に在米中の出来事を思い出した。


 アメリカ人の英語教師に「日本では人が亡くなった時に遺族になんて言うのか?」と尋ねられたのだ。

「お悔やみ申し上げます」ってのを英語でどう表現したらいいのか、オレは困った。


「『I understand貴方の後悔を your regret.理解します』ってとこですかね」と答えたら英語教師に怪訝けげんな顔をされた。


regret後悔 ってのは、もっと良い医者にみせておけば死なずにんだのに、とかそういう事?」


 彼女は全くに落ちない、という表情だった。


「いやそうじゃないです。私の言う regret後悔 というのは、『あの時にこうしてあげていたら良かった』とか、『あんなひどい事を言うべきじゃなかった』とか、『謝りたくても、もう出来ない』とかいう、そういう気持ちのことです。誰にとってもそういう事はあるんじゃないですか?」


 そう言うと、「おお、それは regret後悔 よりもっと深い感情だな!」と彼女は膝を打った。


「『人は誰に対しても完璧である事はできない』という言葉が聖書にあるが、まさしくその事だ」と付け加える。


「そういう事なら remorse自責の念 の方が相応ふさわしい言葉だ」と彼女は一人で納得していた。


慙愧ざんきえない」という日本語が、それに近いのかもしれない。


 我々が何気なにげなく使っている「お悔やみ申し上げます」という言葉だけど、そういった深い気持ちが込められているのだとオレは思う。

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